Skip to content

循環器内科専門医バイブル 1 心不全 識る・診る・治す

循環器内科専門医バイブル 1 心不全 識る・診る・治す published on
循環器ジャーナル Vol.66 No.4(2018年10月号)「書評」より

評者:小川久雄(国立循環器病研究センター理事長)

世界でもトップレベルの長寿社会に入った日本では,今後医療問題が益々大きな課題となってくる.そして医療費という点からは,日本では循環器系疾患が20%と最も高い割合を占めている現状がある.なかでも心不全の増加が顕著であり「心不全パンデミック」と呼ばれるようになってきた.日本循環器学会では全国に1,353施設あるすべての循環器専門施設と協力施設212施設の合計1,565施設から循環器疾患診療実態調査 The Japanese Registry Of All cardiac and vascular Diseases(JROAD)を行い,2012年からは心不全患者の入院数も調査し21万人から2016年には26万人となっている.増加の程度は著明で今後もさらに増え続けると思われる.これは日本のみならず世界的な傾向でもある.
これに対して,日本循環器学会と日本心不全学会は関連11学会とともに「急性・慢性心不全診療ガイドライン(2017年改訂版)」を作成した.このなかには心不全の一般の方への啓発活動として,分かりやすい表現で「心不全とは,心臓が悪いために,息切れやむくみが起こり,だんだん悪くなり,生命を縮める病気」と定義されている.さらに日本循環器学会では日本脳卒中学会,さらに関連19学会と協力して「脳卒中と循環器病克服5カ年計画」を策定し発表したが,このなかでも心不全に注目している.特に予防の重要性も記載している.
本書は「循環器内科専門医バイブル」シリーズの第1巻「心不全─識る・診る・治す」として発刊された.シリーズ総編集,「心不全」専門編集とも小室一成東京大学循環器内科教授が行っている.先生は現在日本循環器学会代表理事でもあり,心不全をライフワークとして研究されてきた.そのネットワークを活用して素晴らしい執筆者を選ばれている.心不全の全体像や基礎研究からはじまり診断,治療,治療薬やデバイスの一歩進んだ使い方・使いこなし方,様々な病態に応じた治療,さらに今後の新しい治療薬と治療法に関して,非常に詳細にかつ分かりやすく記載されている.
心不全は病因が多岐に渡り,病態も様々である.治療も効果的な薬剤やデバイスが多く,その選択も重要である.救急疾患としても多いが慢性疾患としても重要である.さらに最適な治療は何か,根本的な治療法は,と聞かれて明確に答えられない場合もある.本書は図や写真もふんだんに使われ,循環器専門医のみならず,専門医を目指す若い医師,さらには一般医にも理解できる内容となっており,現時点で伝えるべき最新の内容も盛り込まれている.読者の方の心不全の理解,診断や治療に役立つ教科書といえる.ご活用を切に御願いする次第である.


タイムリーな企画と刊行:心不全─識る・診る・治す

内科 Vol.122 No.3(2018年9月増大号) Book Reviewより

評者:友池仁暢(公益財団法人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院)

日々の臨床実践に役立つことを目指した新しいシリーズ「循環器内科専門医バイブル」が企画され,第1巻として「心不全」が刊行されました.心不全は世界的にパンデミックと言われるほどの広がりを見せています.わが国の循環器疾患の有病者数は脳血管障害を除いても総人口の9.2%を占めています.その特徴は年齢が高齢化するほど有病率が高いこと,循環器疾患の原因は遺伝性,先天性,生活習慣関連,感染等々と多彩ですが,その終末像は押並べて心不全に陥ることです.したがって,心不全の診断と治療の本質をきちんと理解して日常臨床に臨むことは臨床医にとって基本中の基本になりつつあります.本書は,循環器専門医と専門医を目指す若手医師に留まらず臨床に携る医療者が渇望していた「心不全の座右の書」ではないかと思います.
心不全は臨床医にとって捉えどころのない暖昧な病態であると受け止められています.例えば,心不全の分類がいくつもあること,病態の説明が様々に繰り広げられていること,内科治療薬としてのジギタリスと利尿薬の位置付けがEBMの時代になって何度も疑問視されたことなど,枚挙にいとまがないほどです.このような情勢も踏まえて日本循環器学会と日本心不全学会は合同で心不全に関するガイドライン2017年版改訂を公表しました.その中で,一般の人達が治療の機会を逸して重症化,あるいは難治化に陥らぬよう「一般向けの定義」もメディアに公開しています.専門医の学会によるかつてない画期的な取り組みです.このガイドライン2017年改訂版を深く理解し日常の臨床に活かす上で本書は優れた羅針盤でもあります.
本書の専門編集の小室一成教授は,重層化し錯綜する概念の座標軸を見事に整理し,最新の知見を包括的に理解できるように,病気の本質を「識る」ことから説き起こし,正確に「診る」ことによる病態の理解,幾多のパラダイムシフトを経た「治療法:治す」の提示と何を選択すべきか,ベッドサイドで必要とされる判断と指針を実務に役立つように本書を組み立てられています.序章に始まる全6章は,わが国のエキスパートが専門医にとっても関心の高い具体的なテーマについて,全体像を俯瞰しつつ個別課題の解決のために正確かつポイントを外さない記述をしてくださっています.
心不全は病院の規模や専門領域に関係なく日常の臨床でよく遭遇する疾患になった今,「心不全一識る・診る・治す」の刊行は時宜にかなったものと言えましょう.臨床現場で日々出てくる疑問に納得のいく答えを求める臨床医にとって本書は期待通りの情報と判断の迷いや悩みに対する的確なアドバイスを与えてくれるに違いありません.

レジデントのための糖尿病・代謝・内分泌内科ポケットブック 第2版

レジデントのための糖尿病・代謝・内分泌内科ポケットブック 第2版 published on
内科 Vol.122 No.5(2018年11月号)「Book Review」より

評者:新保卓郎(太田西ノ内病院)

時の歩みはあまりに早く,還暦過ぎの我が身には,医療の進歩に遅れない,これは至難の業である.内科系の各領域をみても疾患概念はいつの間にか大きく変わり,常識と思っていたものが過去の遺物と指摘され蓋然とする.私の勤務地の福島県は医師不足で,自分でいまだに総合内科の外来診療と病棟患者担当をしている.いかにして短時間で効率的にボトムラインの知識を押さえておくかに自然と気を配るようになる.このような目的にかなうのが,どうも若手向けの解説書かと思っている.
今般,「レジデントのための糖尿病・代謝・内分泌内科ポケットブック 第2版」が上梓された.自分は第1版から愛用している.内科医にとっては,糖尿病や内分泌代謝疾患で頭を悩ますことは非常に多い.きわめて内科らしい領域である.本書は糖尿病の専門医ではない自分にとって,手に取りやすく読みやすい書である.実践的,具体的な記載がなされている.どこに何が記載されているか把握しやすいので,眼の前に患者さんが来て慌てて確認するときにも便利である.生理学的な記載もあり,基礎知識に関して復習もできる.Columnという形で,知っておくべき話題にも触れられている.
糖尿病の診療では薬物療法が大いに発展した.以前より治療で使える武器は増えたが,使いこなすために必要な知識は増大した.このような薬物療法について簡潔に要点がまとめられている.診療の現場では,高齢患者の増えているなかで応用問題をいかに解決するかに迫られている.糖尿病応用編として糖尿病の慢性合併症や,特殊な対応が必要な場合についてもまとめられていてありがたい.
初版後短時日で第2版が出版となったのも,監修の野田光彦先生や編著をされた気鋭の先生方が初版の手応えを感じられたこと,そして最新の知識を読者に提供されたいという気概の表れなのだろう.
新専門医制度になって,これから内科専門医をめざすレジデント世代は,従来以上に総合的な視点が必要とされる.内科専門研修の目標は,さまざまな役割を果たすことができる「可塑性」のある幅広い能力をもった内科医の育成であるとされる.流行の言葉で言えば「ポリバレント」な内科医であろう.従来のサブスペシャルティー優先の内科専門研修とは異なってきている.専門研修の一定の期間,糖尿病代謝内分泌疾患についても十分な症例経験を積む必要がある.研修医の時期とは異なり,自らの判断と責任で診療に望むことが求められる.本書はこのようなレジデント世代にとっても,強力な支えになるだろう.
病棟では多数の高齢患者さんが入院している.糖尿病をもつことは多いし,電解質異常や内分泌疾患が疑われることも多い.病院内に専門医はいるので助けてはもらえるが,最低限の知識がないと討論もできない.このような書に導かれ,同僚と意見を交わし,多彩な患者さんを診療する経験を積む.自分の技量を発揮して患者さんの役に立てるのは幸せである.


好評のポケットブックが版を重ね「珠玉の1冊」としてより充実の内容にアップデート

プラクティス Vol.35 No.5(2018年9・10月号) PUBLICATIONより

評者:駒津光久(信州大学医学部糖尿病・内分泌代謝内科学)

国立国際医療研究センター(当時)の野田光彦博士監修による「レジデントのための糖尿病・代謝・内分泌内科ポケットブック」が上梓されたのは, 2014年5月であった.その充実した内容と使いやすさから研修医の人気を博し,このたび「第2版」が刊行された.初版と同様に,コンパクトなサイズに十分な情報を凝縮し,無駄な記載を省き,臨床的に必要なノウハウを具体的かつ明快に解説している.本書は, 「第I部 救急対応と電解質異常」「第Ⅱ部 糖尿病」「第Ⅲ部 高血圧・代謝疾患」「第Ⅳ部 内分泌疾患」の4部構成になっている.また,「Column」として当該分野のトピックスに解説が加えられているが,この数も初版の33個から41個に増え,さらに充実したものになっている.
糖尿病代謝・内分泌領域の知見は日進月歩であり,本書のような実用書の場合,いかにその内容がうまくアップデートされるかが重要であるが,その点でも本書は秀逸である.たとえば,新しい血糖降下薬であるSGLT2阻害薬やGLP-1受容体作動薬に関しても,直近のエビデンスや知見をしっかり押さえて,わかりやすく記載されている.また,1型糖尿病の最新治療であるSAPについてもしっかりと記載されている.内分泌領域でも,その記載は随所にアップデートされている.先端巨大症の新しいホルモン治療薬や,神経内分泌腫瘍の分類や治療など,最新の考えかたをしっかりと伝えている.レジデントのみでなく,指導医にとってもその知識の整理と刷新のために本書は役立つと確信するゆえんである.
本書の特徴である随所にわかりやすいフローチャートを配している点も初版からしっかり継承されている.文章だけではなくこのような秀逸なチャートや,最新の診断基準の掲載など,レジデントの困りそうなところすべてに手が届いている.全体を通して,記載の姿勢や記述分量,文体などに統一感がある.これは,執筆者である田中隆久,辻本哲郎,小菅由果,財部大輔の4先生が監修者の野田光彦博士の直弟子で,その薫陶を受けており,意思疎通が十分にできたことによるのだろう.
内分泌代謝内科学は,負荷試験の方法や具体的な判定基準など,多くの数字が付きまとう.レジデントのあいだは,本書を傍らにおけば,そのような問題は解決する.基本的には,必要な項目を拾い読みすることになるが,時間の許すときに,41項目の「Column」を熟読することも勧めたい.専門医が読み直しても頭の整理に役立つほど良質な内容である.また巻末には通常の索引に加えて,略語の解説や内分泌負荷試験および糖尿病注射薬の一覧が添えられており,きわめて実用的である.
本書は「初期研修医」が内分泌代謝内科をローテートする際に是非とも携行していただきたい1冊である.研修医が日々遭遇する臨床現場で,その分野での専門知識を迅速かつ適切に習得することは容易ではないが,本書はその手助けとしてふさわしいポケットブックであり,まさに「お薦めできる珠玉の1冊」である.

小児内分泌学会ガイドライン集

小児内分泌学会ガイドライン集 published on
小児科診療 81巻5号(2018年5月号)「書評」より

評者:横谷 進(福島県立医科大学 甲状腺・内分泌センター長)

このたび,一般社団法人 日本小児内分泌学会から診療ガイドライン集が刊行されました.さまざまな学会からガイドライン集が発刊されていますが,小児内分泌学の領域でも待望のガイドライン集が入手可能になりました.各領域が専門分化していくなかで,臨床小児内分泌学も独自の進歩を急速に遂げていることから,的確な診療のためにはこのようなガイドラインが必須になっています.
日本小児内分泌学会は,私が知る限りでも30年以上前からいくつかの疾患に対するガイドラインを公表してきました.その後に明らかになった多くの臨床的知見に基づく改訂や,新たに確立されてきた診療ガイドラインのあり方に即した改訂も必要になっています.こうした地道な作業は,学会内に設置されたガイドライン委員会が担うことにより着実に進められてきました.今回の刊行に際して,以前に公表されたガイドラインも含めて再点検されたことにより,最新のガイドラインになっているので,安心して利用することができます.
目次を見ただけで,どのようなガイドラインがあるのか(ないのか)がすぐにわかります.小児内分泌領域の診療ガイドラインを探すなら,まず,本書にあたってみることをお勧めします.

子ども・大人の発達障害診療ハンドブック

子ども・大人の発達障害診療ハンドブック published on
精神医学 60巻5号(2018年5月号)「書評」より

評者:山末英典(浜松医科大学精神医学講座教授)

近年はインターネットやメディア報道などを通じて発達障害についての啓蒙が進み,一般の精神科外来を発達障害の疑いで受診するケースが明らかに増えてきている。つまり,発達障害の診療について実用的な情報を求めている精神科医が増えている状況にある。しかし一方で,こうした要請に対する情報供給の状況はどうだろうか? 一般向けの啓発本は多く出版されるようになってきているが,臨床家向けに必要な専門的知識を体系的にまとめた情報というのは,きわめて得にくい状況になっている。また一方で,発達障害については,脳科学の研究対象としても,世界中の第一線の研究者からの関心が集まってきており,最近10年ほどの間に基礎から臨床まで膨大な量の研究知見が蓄積され,専門家から見ても到底把握しきれない状況になっている。
そうした中,本書は,最新の学問的な知見や社会状況に基づいて,症候学や教育支援や社会制度から心理学的評価や脳科学まで網羅している。また,ライフサイクルの観点からみても,乳幼児期から老年期まで網羅しており,非常にユニークかつバランスの良い構成になっている。つまり,学問的でありながら,また一方で大変に実践的で具体的な内容にもなっている。臨床研究で用いられることも多い,診断や臨床評価のための国際的で標準的なツールについてもかなり網羅的に紹介されていて,さらには入手方法に至るまで記載されており,驚くほどに有用である。
そして,執筆陣についても,各方面の専門家で構成されており,大変バランスの良い布陣であることに感銘を受けた。編集の内山先生や編集協力の宇野先生と峰矢先生に敬意を評したい。本書の執筆陣には,一致した見解が得られているとは言い難い持論を述べるような向きはなく,多くの専門家が納得して信頼のできる内容になっている。さらに,国際的にも通用する内容が掲載されているという点からも,さまざまな立場の,あるいはさまざまな職種の方に,安心してお勧めすることができる貴重な書である。発達障害を診ることの多い児童思春期を専門とした精神科医や小児科医や心理士や教育職や福祉職だけでなく,成人を中心に診る一般の精神科医や医療職にとってこそ,非常に有用な書であるとも思われる。また,近年は発達障害を標的とした動物実験などの基礎研究を行う研究者も多いが,そうした向きにも,症例提示なども含まれるため,大いに参考になると思われる良書であり,自信を持っておすすめしたい。

あたらしい皮膚科学 第3版

あたらしい皮膚科学 第3版 published on

Visual Dermatology Vol.17 No.5(2018年5月号)「Book Review」より

評者:多田弥生(帝京大学医学部皮膚科学講座)

皮膚科は,臨床は楽しいけれど,教科書を読むのは苦痛,というイメージが若い頃にあった.皮膚科学の重要な要素の一つにパターン認識があり,初学者は「典型的な臨床症状」を数多くみることが重要なのに対し,教科書はそれを典型的な臨床所見の記述で補おうとしていたことに起因すると今は思っている.2005年にあたらしい皮膚科学第1版を見たときの衝撃は今でも覚えている.臨床写真がとにかく多い.各項目において要点が整理されており,読みやすい.しかも,読み手のレベルに応じて,情報を取捨選択できるようになっている.海外の重要な新規知見も網羅されていて,「理解する皮膚科学」の側面もふんだんに盛り込まれている.単著の教科書の長所は記述や表現に統一性があることであり,短所は著者の得意分野と不得意分野で内容の質の差ができてしまうことであるが,あたらしい皮膚科学においてはその短所がみつからない.当時,自宅用と職場用に2冊買って,職場では調べ物に使い,自宅には通読用として置いた.第2版ではさらに臨床写真が充実し,例えば,毛孔性紅色粃糠疹のオレンジ色の乾癬様の局面を伴う臨床写真などまさに典型的で,感動した.ただ,昨今の皮膚科学の進歩が早すぎて,どんな教科書でもあっという間に古くなる.血管炎,皮膚リンパ腫の分類が変更され,混乱したのはつい先日のことであるが,なかなか教科書にはこの変更が反映されない.むしろ,ここまでのスピード感を教科書に要求するのはむずかしい,と思っていたが,そこはさすが,「あたらしい皮膚科学」である.第3版では「もっともあたらしい皮膚科学」が網羅されている.生物学的製剤はその種類や適応疾患が猛スピードで増えているが,それらはもちろんのこと,バイオシミラーにまで言及されているのには感服した.教科書は開くと著者と対話できるようになっている.この疾患,病態について,あの先生に聞いたら,どんな答えが返ってくるだろうか,と聴きたくなることがある.清水宏先生ならどう答えるか,が,この教科書には書いてあり,贅沢である.臨床と研究の両面において,常に世界のトップクラスを走り続ける清水宏先生が学会などで言及された事象が,10年後に現実となるのをみてきた.未来までみえている著者が書いた教科書なので,開くと,まず,現在の皮膚科学が網羅でき,丁寧に読み進めると,未来の皮膚科学までもが見えてくるようにできている.あたらしい皮膚科学の進化は,まさに,清水宏先生の進化そのものであるが,私たちがこの本を手にする時には,すでに清水宏先生はもっと新しくなっていることを考えると,そのスピード感には驚きを禁じ得ない.皮膚科学の勉強の楽しさを実感し,その意欲をかきたててくれる一冊である.同時に,このような「常にもっとも」あたらしい, 日本語の皮膚科の教科書が存在することをありがたく思う.

消化器画像診断アトラス

消化器画像診断アトラス published on
胃と腸 53巻1号(2018年1月号)「書評」より

評者:菅野健太郎(自治医科大学)

私自身のことで恐縮であるが消化器内科を志す大きな動機となったのは,患者さんが多いこととともに,2重造影法や内視鏡によって自らの手で診断できるということにあった.現在では,CTやMRIなどの画像診断は主に放射線科が担っているが,内視鏡をはじめとする画像診断の魅力が消化器内科を志す大きな磁力として働いていることは間違いないであろう.現在,内視鏡や超音波は単に診断ではなく治療にも拡大し,わが国の消化器内科医の技能は名実ともに世界をリードしているといっても過言ではない.
このたび下瀬川徹教授監修のもとに東北大学諸氏の総力を結集してまとめられた消化器画像診断アトラスは,美しい画像が豊富であることは無論,各疾患に対し疾患の概要,典型的な画像所見とその成り立ち,確定診断へのプロセス,治療について簡潔かつ要を得た記述と必要最小限の文献が記載されており,これまでに例のない,まさに圧巻の絢爛たる画像アトラスである.
下瀬川教授は大学では副学長,医学部長,病院長という要職を歴任される一方,日本消化器病学会理事長として学会を指導されてこられたのであるが,東北大学第三内科学教室からの伝統を受け継ぎ,個々の症例を大切にし,その基本情報としての画像診断の水準を高める不断の努力を積み重ねられてきたことが紙背の随所に窺うことができ,改めて深く敬意を表したい.画像アトラスという表題でありながら,本書の内容が画像の羅列にとどまらず奥行きや深さが感じられるのは,大切に蓄えられてきた個々の症例の画像から優れた物語が紡ぎだされているからではないだろうか.すなわち本書の画像アトラスは,単に美麗な画像を収集しているのではなく,その疾患がどのように成り立ち,それが形態変化としてどのように表現されるのかについて各執筆者が真剣に向き合ってきた姿を彷彿させられ,画像を提供していただいた患者さんの生活史や担当医との対話などにも読者の想像を誘うのである.もちろん,東北大学消化器内科では,形態変化の背後にある分子レベルの異常にも踏み込んだ優れた研究を行ってきているが,本書ではその詳細についてはきわめて限定的な記述にとどまっており,これは本書の焦点を絞るための抑制的な配慮と思われる.
本書はわが国の消化器画像診断の到達点を示すマイルストーンとして,初学者から熟達者まで幅広い読者に自信を持って勧められるアトラスであるが,できれば英文出版して世界にも発信していただきたいと願うのは高望みであろうか.


内科 121巻1号(2018年1月号)「BOOK Review」より

評者:田尻久雄(日本消化器内視鏡学会理事長)

この度,『消化器画像診断アトラス』(監修:下瀬川徹教授,編集:小池智幸先生,遠藤克哉先生,井上淳先生,正宗淳先生)が,中山書店から刊行された.上部・下部消化管だけでなく,肝胆膵を含めた消化器領域全般の典型的画像所見を網羅したアトラスである.
本書の特徴は,主要な疾患の様々な画像診断の高品質画像(内視鏡,US,CT,MRI, PET,EUS,ERCP,病理所見等)が豊富に収載されていること,疾患ごとに「概要」「典型的な画像所見とその成り立ち」「確定診断へのプロセス」「治療」の要点が簡潔に解説されていることである.初めて本書を手にとり,非腫瘍性疾患,腫瘍性疾患と臓器別に整理されている項目を1頁毎に開いて読み進みながら,“日を瞠るような鮮明な画像”が“十分な大きさで配列されている”ことに驚きとともに感銘を受けた.
「典型的な画像所見とその成り立ち」では,所見の特徴の解説中に図番号を明示し,画像上見えている病変の形態の形成機序について言及されている点は,監修された下瀬川徹教授の画像診断を通じて消化器病学研究にかける真摯な姿勢と基本哲学を示すものである.
「確定診断へのプロセス」では,鑑別診断の手順とポイントをわかりやすく具体的に解説されており,読者がそれぞれの疾患に深い関心をもたれると思われる.さらに随所に最新の診断基準,治療指針も解説されているので,診療の合間に役立つような工夫がされている.
参考文献は,国内外の必要不可欠な文献が精選されていることも日常診療で忙しい若い先生方に親切な配慮である.本書は,全体をとおして消化器内科,消化器外科を選択する研修医にとって疾患の正しい理解と診断・治療に至るプロセスが理解できるように簡潔にまとめられており,指導医の先生方が実際に教えていく時に役に立つポイントもよく整理されている.
下瀬川徹教授率いる東北大学消化器内科ならびに東北大学関連病院の先生方の総力を結集した大作であり,長く歴史に残る名著になることは間違いない.これから消化器病学,消化器内視鏡学を目指す若い先生のみならず,指導施設で若い先生を教える立場にある先生や実地医家の先生の日常診療に即役立つものと考えている.是非とも座右に具えていただき,適宜参照していただきたい.

外来精神科診療シリーズ 精神医療からみたわが国の特徴と問題点

外来精神科診療シリーズ 精神医療からみたわが国の特徴と問題点 published on
精神医学 59巻11号(2017年11月号)「書評」より

評者:神田橋條治(伊敷病院)

「よの中に交わらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(良寛)。いのちにとって「閉ざす」ことが必然です。そのなかで成長と熟成が進みます。「開く」は,成長と熟成とに寄与する次の策です。「閉ざす」自体が損なわれるといのちが自立性を失います。文化も同じです。開化期の先人たちは,「攘夷」という被害妄想のかわりに「和魂洋才」との心構えをもつことで,「鎖国」のなかで熟成してきた日本文化を守りました。当時の被植民地諸国の見聞からの知恵だったのでしょう。からだ→こころ→魂と並べたとき,その順に「閉ざす」が大切になります。「魂だけは売り渡さない」はさまざまな極限状況で現れる決意です。「身は売っても思いは主さまだけのもの」との遊女の覚悟もそのひとつです。魂を守る決意には切ない気分があります。グローバル化の流れやAIの発展がこころの領域にまで支配を広げてきたので,切なさは日常に瀰漫してきました。最近の奇妙な社会現象の多くを,切なさへの対処行動,せめて魂だけは守ろうとする工夫,として眺めると腑に落ちる気分が湧きます。
精神科臨床を選択した人々の多くは,からだ→こころ→魂の総合体を援助する志向を持っています。いのちの鎖国文化を援助したいとの意図を持つ資質です。いずれが先かは微妙ですが,我が内なる鎖国文化を維持し熟成したいとの志向と互いに響き合います。「わたしの精神医学」です。内なる鎖国文化が形を現し,幾つかの援助手技を手に入れた人は,クリニックを立ち上げます。鎖国環境の設定です。精神科臨床のロマンですから,当然の流れです。
グローバル化の奔流がロマンを壊し始めました。診断の領域での世界標準化すなわちDSMと援助手技の領域でのEBMです。診断については,表向きのDSMを尊重しながら援助作業においてはわたしの内なる精神医学を用いるという二重帳簿で凌ぐことができます。しかもそれは精神科を選んだ資質の中にある,裏世界嗜好を充たしさえします。深刻なのは援助手技についてです。中でも精神薬物療法については甚大です。手持ちの援助手技の中で薬物を主な手立てにしている治療者は,洋才に侵食されて魂の危機にあります。
ところで「エビデンス」なるものの成立過程を眺めてみると,それは正規分布の両端を切り捨てて作った「多数決」の成果です。多数決が参考資料以上の力を持つと薄っぺらな全体主義の本流を形成し少数者切り捨てに至ることはすべての世界で具現されています。この気分が医療を覆うようになると,「少数者への援助」という医療の原点が失われ,医学は疫学になります。珍しい疾患の見落としや頻度の稀な重大な副作用の見落としとして臨床現場で現れています。臨床は五感と第六感とを総動員して行うアートです。魂の営みです。その営みからの経験が各人の体験として刻み込まれて鎖国文化の中の「わたしのエビデンス」となっています。職人の「勘どころ」です。
薬物については事態はさらに深刻です。科学主義・客観化に根ざしているからです。これに侵食されて「薬物依存」「薬物乱用」風医療になってしまっている治療者はすべての医療分野に蔓延しています。向精神薬については,からだ(脳)への作用に限って客観化が行われ,しかも関連する変数を極力少なくするという科学実験の原則に沿ってエビデンスが得られています。その判定はこころの変化,しかも辛うじて有意差が出る程度の微かな多数決のデータです。現場では個体を共同研究者にして,その主観的判断(こころ→魂)を組み込みながら処方を決めて,テーラーメイドのエビデンスを積み上げていくのが医療です。
皆さん気づいておられますか? わたしたちは分担執筆で編纂された全書の類を購入しても,たまに参照するだけでおおかたは本棚の肥やしになっています。折に触れてページをめくるのは単著です。単著による精神医学教科書はしばしば座右の書になります。信者になっているわけではありません。その著者のなかで熟成した鎖国文化に触れることで自分の鎖国文化を省みる欲求ゆえです。このシリーズは分担執筆であるけど分担執筆ではありません。五人の「野武士」の方々が,精神医療の現状への危機感から立ち上げたシリーズです。野武士とは,鹿鳴館の賑わいを横目に見ながらも,自らの鎖国文化を育成し,それに支えられて「開く」が自在になり,被害感なしに,DSMやEBMの有用なところは取り入れて成長と成熟を歩み続けている人の謂です。「和魂洋才」です。シリーズは全10冊からなっており,最後の巻にシリーズ全体の執筆者一覧が載ります。野武士五人の方々の論述はもちろんですが,その他にも多くの方が複数の論述を寄稿しておられ,それらを縦断して読むことで多種多様な鎖国文化に触れることになります。単著の乱舞です。全10冊が医局の本棚にあると,ベテランの精神科医にとってはさまざまな鎖国文化を批判的に読むことができます。そのことはとりもなおさず自らの鎖国文化を省みる作業になります。歩きはじめの精神科医にとっては,自分の未来にさまざまの道が開けていることが見えて,こころと魂が定まります。なかにはどの道も自分の資質と馴染まないと分かって,脳科学の方向を選ぶかたもありましょう。それもまた素晴らしい選択です。
最後に,このシリーズには当事者の寄稿もあります。なかでも小石川真実という方の二本の論文「『患者を良くする』ことを念頭においた診断を」(診断の技と工夫 214頁)「本気でわかろうとしてくれる人が一人でもいると患者は立ち直れる」(精神療法の技と工夫 226頁)を是非お読みください。標準化とEBMの「洋才」に浮かれた被植民地化された精神科臨床でからだもこころもモミクチャにされながらも,辛うじて魂だけは守り抜いた人の「叫び」です。「わたしならどうするか?」と自問して下さい。魂までも毀損された「声なき声」が現場に溢れておりテーラーメイドの援助で叫びが蘇る経験は非医師の報告に散見します。
最近注目をあびている「オープンダイアローグ」という手法は見かけとは逆に,その個体独自の鎖国文化の回復が本質です。そう考えると,あの目を見張る効果が腑に落ちます。

外来精神科診療シリーズ メンタルクリニックでの主要な精神疾患への対応 [3] 統合失調症,気分障害

外来精神科診療シリーズ メンタルクリニックでの主要な精神疾患への対応 [3] 統合失調症,気分障害 published on
精神医学 59巻11号(2017年11月号)「書評」より

評者:神田橋條治(伊敷病院)

「よの中に交わらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(良寛)。いのちにとって「閉ざす」ことが必然です。そのなかで成長と熟成が進みます。「開く」は,成長と熟成とに寄与する次の策です。「閉ざす」自体が損なわれるといのちが自立性を失います。文化も同じです。開化期の先人たちは,「攘夷」という被害妄想のかわりに「和魂洋才」との心構えをもつことで,「鎖国」のなかで熟成してきた日本文化を守りました。当時の被植民地諸国の見聞からの知恵だったのでしょう。からだ→こころ→魂と並べたとき,その順に「閉ざす」が大切になります。「魂だけは売り渡さない」はさまざまな極限状況で現れる決意です。「身は売っても思いは主さまだけのもの」との遊女の覚悟もそのひとつです。魂を守る決意には切ない気分があります。グローバル化の流れやAIの発展がこころの領域にまで支配を広げてきたので,切なさは日常に瀰漫してきました。最近の奇妙な社会現象の多くを,切なさへの対処行動,せめて魂だけは守ろうとする工夫,として眺めると腑に落ちる気分が湧きます。
精神科臨床を選択した人々の多くは,からだ→こころ→魂の総合体を援助する志向を持っています。いのちの鎖国文化を援助したいとの意図を持つ資質です。いずれが先かは微妙ですが,我が内なる鎖国文化を維持し熟成したいとの志向と互いに響き合います。「わたしの精神医学」です。内なる鎖国文化が形を現し,幾つかの援助手技を手に入れた人は,クリニックを立ち上げます。鎖国環境の設定です。精神科臨床のロマンですから,当然の流れです。
グローバル化の奔流がロマンを壊し始めました。診断の領域での世界標準化すなわちDSMと援助手技の領域でのEBMです。診断については,表向きのDSMを尊重しながら援助作業においてはわたしの内なる精神医学を用いるという二重帳簿で凌ぐことができます。しかもそれは精神科を選んだ資質の中にある,裏世界嗜好を充たしさえします。深刻なのは援助手技についてです。中でも精神薬物療法については甚大です。手持ちの援助手技の中で薬物を主な手立てにしている治療者は,洋才に侵食されて魂の危機にあります。
ところで「エビデンス」なるものの成立過程を眺めてみると,それは正規分布の両端を切り捨てて作った「多数決」の成果です。多数決が参考資料以上の力を持つと薄っぺらな全体主義の本流を形成し少数者切り捨てに至ることはすべての世界で具現されています。この気分が医療を覆うようになると,「少数者への援助」という医療の原点が失われ,医学は疫学になります。珍しい疾患の見落としや頻度の稀な重大な副作用の見落としとして臨床現場で現れています。臨床は五感と第六感とを総動員して行うアートです。魂の営みです。その営みからの経験が各人の体験として刻み込まれて鎖国文化の中の「わたしのエビデンス」となっています。職人の「勘どころ」です。
薬物については事態はさらに深刻です。科学主義・客観化に根ざしているからです。これに侵食されて「薬物依存」「薬物乱用」風医療になってしまっている治療者はすべての医療分野に蔓延しています。向精神薬については,からだ(脳)への作用に限って客観化が行われ,しかも関連する変数を極力少なくするという科学実験の原則に沿ってエビデンスが得られています。その判定はこころの変化,しかも辛うじて有意差が出る程度の微かな多数決のデータです。現場では個体を共同研究者にして,その主観的判断(こころ→魂)を組み込みながら処方を決めて,テーラーメイドのエビデンスを積み上げていくのが医療です。
皆さん気づいておられますか? わたしたちは分担執筆で編纂された全書の類を購入しても,たまに参照するだけでおおかたは本棚の肥やしになっています。折に触れてページをめくるのは単著です。単著による精神医学教科書はしばしば座右の書になります。信者になっているわけではありません。その著者のなかで熟成した鎖国文化に触れることで自分の鎖国文化を省みる欲求ゆえです。このシリーズは分担執筆であるけど分担執筆ではありません。五人の「野武士」の方々が,精神医療の現状への危機感から立ち上げたシリーズです。野武士とは,鹿鳴館の賑わいを横目に見ながらも,自らの鎖国文化を育成し,それに支えられて「開く」が自在になり,被害感なしに,DSMやEBMの有用なところは取り入れて成長と成熟を歩み続けている人の謂です。「和魂洋才」です。シリーズは全10冊からなっており,最後の巻にシリーズ全体の執筆者一覧が載ります。野武士五人の方々の論述はもちろんですが,その他にも多くの方が複数の論述を寄稿しておられ,それらを縦断して読むことで多種多様な鎖国文化に触れることになります。単著の乱舞です。全10冊が医局の本棚にあると,ベテランの精神科医にとってはさまざまな鎖国文化を批判的に読むことができます。そのことはとりもなおさず自らの鎖国文化を省みる作業になります。歩きはじめの精神科医にとっては,自分の未来にさまざまの道が開けていることが見えて,こころと魂が定まります。なかにはどの道も自分の資質と馴染まないと分かって,脳科学の方向を選ぶかたもありましょう。それもまた素晴らしい選択です。
最後に,このシリーズには当事者の寄稿もあります。なかでも小石川真実という方の二本の論文「『患者を良くする』ことを念頭においた診断を」(診断の技と工夫 214頁)「本気でわかろうとしてくれる人が一人でもいると患者は立ち直れる」(精神療法の技と工夫 226頁)を是非お読みください。標準化とEBMの「洋才」に浮かれた被植民地化された精神科臨床でからだもこころもモミクチャにされながらも,辛うじて魂だけは守り抜いた人の「叫び」です。「わたしならどうするか?」と自問して下さい。魂までも毀損された「声なき声」が現場に溢れておりテーラーメイドの援助で叫びが蘇る経験は非医師の報告に散見します。
最近注目をあびている「オープンダイアローグ」という手法は見かけとは逆に,その個体独自の鎖国文化の回復が本質です。そう考えると,あの目を見張る効果が腑に落ちます。

外来精神科診療シリーズ メンタルクリニックでの主要な精神疾患への対応 [2] 不安障害,ストレス関連障害,身体表現性障害・嗜癖症,パーソナリティ障害

外来精神科診療シリーズ メンタルクリニックでの主要な精神疾患への対応 [2] 不安障害,ストレス関連障害,身体表現性障害・嗜癖症,パーソナリティ障害 published on
精神医学 59巻11号(2017年11月号)「書評」より

評者:神田橋條治(伊敷病院)

「よの中に交わらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(良寛)。いのちにとって「閉ざす」ことが必然です。そのなかで成長と熟成が進みます。「開く」は,成長と熟成とに寄与する次の策です。「閉ざす」自体が損なわれるといのちが自立性を失います。文化も同じです。開化期の先人たちは,「攘夷」という被害妄想のかわりに「和魂洋才」との心構えをもつことで,「鎖国」のなかで熟成してきた日本文化を守りました。当時の被植民地諸国の見聞からの知恵だったのでしょう。からだ→こころ→魂と並べたとき,その順に「閉ざす」が大切になります。「魂だけは売り渡さない」はさまざまな極限状況で現れる決意です。「身は売っても思いは主さまだけのもの」との遊女の覚悟もそのひとつです。魂を守る決意には切ない気分があります。グローバル化の流れやAIの発展がこころの領域にまで支配を広げてきたので,切なさは日常に瀰漫してきました。最近の奇妙な社会現象の多くを,切なさへの対処行動,せめて魂だけは守ろうとする工夫,として眺めると腑に落ちる気分が湧きます。
精神科臨床を選択した人々の多くは,からだ→こころ→魂の総合体を援助する志向を持っています。いのちの鎖国文化を援助したいとの意図を持つ資質です。いずれが先かは微妙ですが,我が内なる鎖国文化を維持し熟成したいとの志向と互いに響き合います。「わたしの精神医学」です。内なる鎖国文化が形を現し,幾つかの援助手技を手に入れた人は,クリニックを立ち上げます。鎖国環境の設定です。精神科臨床のロマンですから,当然の流れです。
グローバル化の奔流がロマンを壊し始めました。診断の領域での世界標準化すなわちDSMと援助手技の領域でのEBMです。診断については,表向きのDSMを尊重しながら援助作業においてはわたしの内なる精神医学を用いるという二重帳簿で凌ぐことができます。しかもそれは精神科を選んだ資質の中にある,裏世界嗜好を充たしさえします。深刻なのは援助手技についてです。中でも精神薬物療法については甚大です。手持ちの援助手技の中で薬物を主な手立てにしている治療者は,洋才に侵食されて魂の危機にあります。
ところで「エビデンス」なるものの成立過程を眺めてみると,それは正規分布の両端を切り捨てて作った「多数決」の成果です。多数決が参考資料以上の力を持つと薄っぺらな全体主義の本流を形成し少数者切り捨てに至ることはすべての世界で具現されています。この気分が医療を覆うようになると,「少数者への援助」という医療の原点が失われ,医学は疫学になります。珍しい疾患の見落としや頻度の稀な重大な副作用の見落としとして臨床現場で現れています。臨床は五感と第六感とを総動員して行うアートです。魂の営みです。その営みからの経験が各人の体験として刻み込まれて鎖国文化の中の「わたしのエビデンス」となっています。職人の「勘どころ」です。
薬物については事態はさらに深刻です。科学主義・客観化に根ざしているからです。これに侵食されて「薬物依存」「薬物乱用」風医療になってしまっている治療者はすべての医療分野に蔓延しています。向精神薬については,からだ(脳)への作用に限って客観化が行われ,しかも関連する変数を極力少なくするという科学実験の原則に沿ってエビデンスが得られています。その判定はこころの変化,しかも辛うじて有意差が出る程度の微かな多数決のデータです。現場では個体を共同研究者にして,その主観的判断(こころ→魂)を組み込みながら処方を決めて,テーラーメイドのエビデンスを積み上げていくのが医療です。
皆さん気づいておられますか? わたしたちは分担執筆で編纂された全書の類を購入しても,たまに参照するだけでおおかたは本棚の肥やしになっています。折に触れてページをめくるのは単著です。単著による精神医学教科書はしばしば座右の書になります。信者になっているわけではありません。その著者のなかで熟成した鎖国文化に触れることで自分の鎖国文化を省みる欲求ゆえです。このシリーズは分担執筆であるけど分担執筆ではありません。五人の「野武士」の方々が,精神医療の現状への危機感から立ち上げたシリーズです。野武士とは,鹿鳴館の賑わいを横目に見ながらも,自らの鎖国文化を育成し,それに支えられて「開く」が自在になり,被害感なしに,DSMやEBMの有用なところは取り入れて成長と成熟を歩み続けている人の謂です。「和魂洋才」です。シリーズは全10冊からなっており,最後の巻にシリーズ全体の執筆者一覧が載ります。野武士五人の方々の論述はもちろんですが,その他にも多くの方が複数の論述を寄稿しておられ,それらを縦断して読むことで多種多様な鎖国文化に触れることになります。単著の乱舞です。全10冊が医局の本棚にあると,ベテランの精神科医にとってはさまざまな鎖国文化を批判的に読むことができます。そのことはとりもなおさず自らの鎖国文化を省みる作業になります。歩きはじめの精神科医にとっては,自分の未来にさまざまの道が開けていることが見えて,こころと魂が定まります。なかにはどの道も自分の資質と馴染まないと分かって,脳科学の方向を選ぶかたもありましょう。それもまた素晴らしい選択です。
最後に,このシリーズには当事者の寄稿もあります。なかでも小石川真実という方の二本の論文「『患者を良くする』ことを念頭においた診断を」(診断の技と工夫 214頁)「本気でわかろうとしてくれる人が一人でもいると患者は立ち直れる」(精神療法の技と工夫 226頁)を是非お読みください。標準化とEBMの「洋才」に浮かれた被植民地化された精神科臨床でからだもこころもモミクチャにされながらも,辛うじて魂だけは守り抜いた人の「叫び」です。「わたしならどうするか?」と自問して下さい。魂までも毀損された「声なき声」が現場に溢れておりテーラーメイドの援助で叫びが蘇る経験は非医師の報告に散見します。
最近注目をあびている「オープンダイアローグ」という手法は見かけとは逆に,その個体独自の鎖国文化の回復が本質です。そう考えると,あの目を見張る効果が腑に落ちます。

外来精神科診療シリーズ メンタルクリニックでの主要な精神疾患への対応 [1] 発達障害,児童・思春期,てんかん,睡眠障害,認知症

外来精神科診療シリーズ メンタルクリニックでの主要な精神疾患への対応 [1] 発達障害,児童・思春期,てんかん,睡眠障害,認知症 published on
精神医学 59巻11号(2017年11月号)「書評」より

評者:神田橋條治(伊敷病院)

「よの中に交わらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(良寛)。いのちにとって「閉ざす」ことが必然です。そのなかで成長と熟成が進みます。「開く」は,成長と熟成とに寄与する次の策です。「閉ざす」自体が損なわれるといのちが自立性を失います。文化も同じです。開化期の先人たちは,「攘夷」という被害妄想のかわりに「和魂洋才」との心構えをもつことで,「鎖国」のなかで熟成してきた日本文化を守りました。当時の被植民地諸国の見聞からの知恵だったのでしょう。からだ→こころ→魂と並べたとき,その順に「閉ざす」が大切になります。「魂だけは売り渡さない」はさまざまな極限状況で現れる決意です。「身は売っても思いは主さまだけのもの」との遊女の覚悟もそのひとつです。魂を守る決意には切ない気分があります。グローバル化の流れやAIの発展がこころの領域にまで支配を広げてきたので,切なさは日常に瀰漫してきました。最近の奇妙な社会現象の多くを,切なさへの対処行動,せめて魂だけは守ろうとする工夫,として眺めると腑に落ちる気分が湧きます。
精神科臨床を選択した人々の多くは,からだ→こころ→魂の総合体を援助する志向を持っています。いのちの鎖国文化を援助したいとの意図を持つ資質です。いずれが先かは微妙ですが,我が内なる鎖国文化を維持し熟成したいとの志向と互いに響き合います。「わたしの精神医学」です。内なる鎖国文化が形を現し,幾つかの援助手技を手に入れた人は,クリニックを立ち上げます。鎖国環境の設定です。精神科臨床のロマンですから,当然の流れです。
グローバル化の奔流がロマンを壊し始めました。診断の領域での世界標準化すなわちDSMと援助手技の領域でのEBMです。診断については,表向きのDSMを尊重しながら援助作業においてはわたしの内なる精神医学を用いるという二重帳簿で凌ぐことができます。しかもそれは精神科を選んだ資質の中にある,裏世界嗜好を充たしさえします。深刻なのは援助手技についてです。中でも精神薬物療法については甚大です。手持ちの援助手技の中で薬物を主な手立てにしている治療者は,洋才に侵食されて魂の危機にあります。
ところで「エビデンス」なるものの成立過程を眺めてみると,それは正規分布の両端を切り捨てて作った「多数決」の成果です。多数決が参考資料以上の力を持つと薄っぺらな全体主義の本流を形成し少数者切り捨てに至ることはすべての世界で具現されています。この気分が医療を覆うようになると,「少数者への援助」という医療の原点が失われ,医学は疫学になります。珍しい疾患の見落としや頻度の稀な重大な副作用の見落としとして臨床現場で現れています。臨床は五感と第六感とを総動員して行うアートです。魂の営みです。その営みからの経験が各人の体験として刻み込まれて鎖国文化の中の「わたしのエビデンス」となっています。職人の「勘どころ」です。
薬物については事態はさらに深刻です。科学主義・客観化に根ざしているからです。これに侵食されて「薬物依存」「薬物乱用」風医療になってしまっている治療者はすべての医療分野に蔓延しています。向精神薬については,からだ(脳)への作用に限って客観化が行われ,しかも関連する変数を極力少なくするという科学実験の原則に沿ってエビデンスが得られています。その判定はこころの変化,しかも辛うじて有意差が出る程度の微かな多数決のデータです。現場では個体を共同研究者にして,その主観的判断(こころ→魂)を組み込みながら処方を決めて,テーラーメイドのエビデンスを積み上げていくのが医療です。
皆さん気づいておられますか? わたしたちは分担執筆で編纂された全書の類を購入しても,たまに参照するだけでおおかたは本棚の肥やしになっています。折に触れてページをめくるのは単著です。単著による精神医学教科書はしばしば座右の書になります。信者になっているわけではありません。その著者のなかで熟成した鎖国文化に触れることで自分の鎖国文化を省みる欲求ゆえです。このシリーズは分担執筆であるけど分担執筆ではありません。五人の「野武士」の方々が,精神医療の現状への危機感から立ち上げたシリーズです。野武士とは,鹿鳴館の賑わいを横目に見ながらも,自らの鎖国文化を育成し,それに支えられて「開く」が自在になり,被害感なしに,DSMやEBMの有用なところは取り入れて成長と成熟を歩み続けている人の謂です。「和魂洋才」です。シリーズは全10冊からなっており,最後の巻にシリーズ全体の執筆者一覧が載ります。野武士五人の方々の論述はもちろんですが,その他にも多くの方が複数の論述を寄稿しておられ,それらを縦断して読むことで多種多様な鎖国文化に触れることになります。単著の乱舞です。全10冊が医局の本棚にあると,ベテランの精神科医にとってはさまざまな鎖国文化を批判的に読むことができます。そのことはとりもなおさず自らの鎖国文化を省みる作業になります。歩きはじめの精神科医にとっては,自分の未来にさまざまの道が開けていることが見えて,こころと魂が定まります。なかにはどの道も自分の資質と馴染まないと分かって,脳科学の方向を選ぶかたもありましょう。それもまた素晴らしい選択です。
最後に,このシリーズには当事者の寄稿もあります。なかでも小石川真実という方の二本の論文「『患者を良くする』ことを念頭においた診断を」(診断の技と工夫 214頁)「本気でわかろうとしてくれる人が一人でもいると患者は立ち直れる」(精神療法の技と工夫 226頁)を是非お読みください。標準化とEBMの「洋才」に浮かれた被植民地化された精神科臨床でからだもこころもモミクチャにされながらも,辛うじて魂だけは守り抜いた人の「叫び」です。「わたしならどうするか?」と自問して下さい。魂までも毀損された「声なき声」が現場に溢れておりテーラーメイドの援助で叫びが蘇る経験は非医師の報告に散見します。
最近注目をあびている「オープンダイアローグ」という手法は見かけとは逆に,その個体独自の鎖国文化の回復が本質です。そう考えると,あの目を見張る効果が腑に落ちます。