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精神科薬物療法のプリンシプル

精神科薬物療法のプリンシプル published on

いわゆる辞典的な本ではなく,臨床医が興味深く通読できる

精神医学 Vol.55 No.4(2013年4月号) 書評より

評者:中嶋聡(なかまクリニック)

本書は,さいたま市立病院精神科部長・仙波純一氏による,精神科薬物療法の指南書である。
著者によれば,本書の題名・プリンシプルとは,臨床家の行動原理のことである。そして本書は,「若手の精神科医を対象として,この行動原理のあるべき姿を示してみたもの」である。あるべき姿とはどのようなものか。それは,単に薬物の選択や投与法に詳しいばかりでなく,それらの知識を精神科治療全体の中でどう生かすかを会得していることである。
著者は,薬物療法における代表的な態度として,薬理作用重視主義,EBM重視主義,素朴な経験主義の三つを挙げる。著者は,自身の立場はこの中で第一と第二の中間であると言うが,通読した印象からは,第一にはEBM重視主義者であるという印象を受けた。すなわち,RCT(無作為対照化試験)やメタアナリシスを重視し,それらを行動原理の中心におく。そして,わが国の精神科臨床のいわば「伝統」ともいえる,素朴な経験主義に対しては,厳しい批判の目を向ける。
著者は,薬理作用を重視しながらも,「薬理作用原理主義」に対しては批判的である。著者は次のように述べる。「あまりに作用機序にこだわりすぎると,いわゆる『コツ』や『裏ワザ』のような処方が増え,次第に漫然とした多剤併用や,独白の薬物療法に傾いていってしまうおそれもあります」。この,薬理作用原理主義は素朴な経験主義に通底しているという指摘は,評者にとっては,目から鱗が落ちるものであった。
各論でも,随所で警鐘を鳴らしている。たとえば,「『セロトニンの低下がうつ病の原因で,抗うつ薬はセロトニンを増やすことでうつ病を治す』というのは,一種の神話というべきものです。まったくの誤りではないにしても,薬理学的には単純すぎる解釈であり,専門家である精神科医が真に受けてはなりません」と述べる。また,SSRIの薬ごとの薬理学的な違いや,しばしば「SDA」や「MARTA」などの用語を使って説明される,非定型抗精神病薬同士の違いについても,それが「臨床的にどのような意味を持っているかは,現時点では明らかでない」とし,「製薬会社は差別化を図ってわずかな薬理学的特徴を強調しがちなことに留意」するよう読者に促している。
先に著者は素朴な経験主義に対して批判的だと述べたが,その姿勢は決して「原理主義的」ではない。臨床医がしばしば,薬理学やEBMの十分な裏付けなしに当座の決定を迫られることや,置かれた場や患者の事情によってはEBMだけでは単純に割り切れない場合があることも十分に認めている。こうしたところに,著者の,学問のみせかけに引きずられない強靭さと,豊かな臨床経験に裏打ちされた懐の深さを感じる。
各論では,抗うつ薬,気分安定薬,抗精神病薬,抗不安薬・睡眠薬のそれぞれについて,詳しい解説がなされている。また,薬物の変更・併用の考え方や仕方について,臨床の実際に沿った説明がなされている。妊娠・授乳中の薬物療法や,留意すべき副作用についても,簡潔で必要十分な解説が与えられている。さらに,本文と別に多くのコラムがあり,そこでは「臨床医が薬物動態に留意しない理由」,「双極性うつ病で抗うつ薬を処方すべきか」,「睡眠薬は頓服使用でもよいか」など,興味深い話題が取り上げられている。
いわゆる辞典的な本ではなく,臨床医が興味深く通読できる本である。しかも,常時手元に置いて,必要なときに必要な箇所を参照するような使い方もできる。若手の精神科医だけでなく,精神科の臨床に携わるすべての方にお勧めしたい。

精神科医療面接

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半世紀前にこんな本があったらなあ

こころの科学 No.162(2012年3月号) ほんとの対話より

評者:神田橋條治(伊敷病院)

半世紀前、ボクらが新人だった頃は、DSMもEBMもマニュアルもない、牧歌的な時代でした。新入局者へのオリエンテーション・レクチャーを受けた後は、入院患者を割り当てられて、見よう見まねで診療したり、無給医なので生活費稼ぎにパートに出かけ、そこでは内心ビクビクしながらも一人前の顔をして診療していました。

全国どこの医局にも、研究などおざなりにして医局の雑用と臨床だけを専らにしている先輩がいました。その先輩の経験談や助言を受け入れたり密かに批判したりしながら、ボクらは自分の臨床での知と技とを育てていきました。そうした素浪人のような中堅が住みづらくなって去った後、大学の臨床技術は押しなべて、荒削りで味わい薄いものになりました。

臨床面接は、情報の受信と発信、言い換えると診断と非物質的治療との混在であり、到達目標は両者の融合状態です。技術がきめこまやかになると、治療者側の体験としては技が「前意識」領域となり、患者側の体験としては面接が「確かな雰囲気」の味になるのが理想像です。

個人クリニックを開業して一六年になる中嶋さんのこの本は、「精神科臨床ですぐに役立つ方法を……平均五分という条件の中で、最善の面接ができる方法」を助言する、経験談です。ただし、昔の先輩の経験談とは異なる点があります。

まず第一に、片言隻句であった昔の先輩と異なり、中嶋さんは現場での実践技術の完成形を志しておられるようなのです。「網羅性に欠ける結果になった」との反省が裏書きしています。その志は、新人の時から一貫しているらしく、VI章「面接の学び方」には、書物を通じての学習、陪席、スーパーヴィジョン、ケースカンファレンス、ケースセミナー、医局やナースステーションでの雑談、経験から学ぶ、などのトピックがご自身の経験談として語られています。

第二に、ボクらが先輩の助言に対して、密かに批判したり自問自答したりした体験と同じものが、ご自身の助言に添えられているのが特徴的です。おそらく中嶋さんは、実践技術習得の彷徨の道筋で、さまざまな自問自答を続けてこられたのでしょう。それが開示されることで、読者は同種の自問自答へと誘われます。中嶋さんは、自分の助言がマニュアルとして使われることを危惧しておられるのでしょう。そうした精神科臨床家としての配慮が心地よい雰囲気を生み出しますし、技術修練への真摯な姿勢が伝わります。

第三に、目配りのきめのこまやかさが際立っています。例証として、IV章「むずかしい場合の対処法」の小目次を挙げてみましょう。自殺の訴えがみられる場合、自殺意図で来院した/運ばれてきた場合、興奮している場合、不満/怒りを訴える場合、黙っている場合、不安が強い場合、診察室で泣く場合、演技的な場合、治療/入院を拒否する場合、自己流の治療を希望する場合、軽症なのに休職/診断書を希望する場合、転院を希望する場合/本人の希望で転院してきた場合、過量服薬の傾向がある場合、面接者が共感できない場合、話が長い場合。いずれも精神科外来での悩ましいトピックです。

第四は、「面接の基本形」と題して、面接の実際のモデルが提示されて説明されていることです。類書に見られない斬新な工夫です。現場での教育ではない書物での記述を実地での助言に近づけようとする、実務家ならではのアイディアです。ここから先には陪席しかないでしょう。昔、パデル先生が「ジョージ、医学教育に講義という方法が使われるようになってから、医学のdeteriorationが始まったと思わないかい?」とおっしゃったことがあり、先生の講義が常に聴衆への語りかけのスタイルであるのが腑に落ちました。そして、映画『赤ひげ』を連想しました。あそこでの教育の中心は、陪席と手伝いです。本書を読みファンとなった初心者が、中嶋さんのクリニックでの陪席を求めたら、どうぞ歓迎してあげてください。だって、中嶋さんの工夫の成果ですし、良い本を出すのは誘惑行為でもあるのです。しかも、沖縄まで出かけようとは、なまなかの熱意ではできないことです。半世紀前にこんな本があったらなあ。

精神科医のためのケースレポート・医療文書の書き方 実例集

精神科医のためのケースレポート・医療文書の書き方 実例集 published on

医局に必ず揃えたい1冊!

日本精神科病院協会雑誌 30巻 10号(2011年10月)書評より

評者:吉永陽子(長谷川病院 院長)

読んで字のごとし。第1章は日本精神神経学会専門医,精神保健指定医資格を目指しているのであれば,一押しである。筆者はよき先輩に恵まれたおかげで,こういったガイドブックを読まずして幸いにも試験に合格できた。合格後にこういった本が医局に置いてあり,「なあんだこのようなものがあるのだな」と目を通してみたが,しごく簡便で,本を読んだという保証・お守りにはなるかなという印象であった。しかし,本書は,本格的であり,丁寧な指導が行き届いている。これは,もっと早く出版してほしかったと思う。しかし,指導する立場に立ったいま,その意味でもおおいに参考になった。

第2章以降は,精神科医として働くうえで医療文書作成が必要となった場合は,必携の書である。実用書としてすべてが網羅されている。これがあれば,今後の仕事が能率的に進むに違いない。

そして本書には単なるHow to本を超えた醍醐味がある。まず,執筆者一覧をごらんあれ。そうそうたるメンバーが並ぶ。単著で何冊も出版なさっている方々ばかりである。歌舞伎で言えば,襲名披露の口上や年始の顔見世興行のような,きらびやかな華やかさがある。それだけでも読みたい気持ちになる。いまさらながら,筆者ごときが恐れ多くも書評を書いてよかったのだろうかと気が付いた。

次に症例が面白い。しばしば本の体裁を整えるために創作された症例があり,できレースのようで胡散くさいことがあるが,ここに登場する症例は,臨床に即して実践的である。いくつかは治療のヒントにもなった。治療を書類作成という角度から見直してみることの大切さに気が付いた。日ごろの不勉強を改め精進し,“実るほど頭を垂れる稲穂かな”のようにありたい。


医療文書を書く際の基本姿勢から懇切丁寧な各論を掲載 さまざまな場面を想定した実例を網羅

精神医学 53巻 11号(2011年11月号) 書評より

評者:尾崎紀夫(名古屋大学大学院医学系研究科精神医学)

精神科医は医療文書を書く機会が多く、さまざまな医療文書が書けるようになると、何となく一人前になったような気がしてくる。ところが、医療文書の書き方についてトレーニングを受けたかというと、その記憶がない。また、「書き方」を教えてくれる書物も、昔はなかったように思う。

ローテート研修医時代、先輩医師から「紹介状を書いておくように」と言われ、カルテに挟んである紹介状を参考に、「見よう見まね」で書き始めた。精神科研修を始め、初診に陪席して紹介状の実例をいくつか目の当たりにし、「精神科医による紹介状の書き方」を学び始めた。さらに、診断書も、先輩精神科医の診断書をまねることが修行であった。

自分が初診担当医になり紹介状を読んで方針を考えたり、提出された診断書を参考に復職の判断をする立場になると、「この紹介状は、当方に何を求めているのか不明瞭だ」「この診断名は果たして妥当か」などと思うようになった。一方、「人の振り見てわが振り直したか?」と問われると、無反省に医療文書作成を「日常業務」としてこなしているのが現状であった。

そんな折、本書を目にした。何より、文書作成への基本姿勢が徹底している。たとえば、紹介状について、「筆者の医師としての人格なり、力量が常に測られることなのである。あだやおろそかに紹介状は書けない(鈴木二郎先生)」。診断書に関して、「文書の出だしはすべからく『いつも御世話になっております』と書き始めている。(中略) 精神科医全体を代表して、今までのすべてのご迷惑をお詫びするという口調のほうが、良い連携を生む。(中略) そして『ご不明な点があれば、いつでもお問い合わせ下さい』と保障し、文書を締めくくって署名する(一瀬邦弘先生)」。

当方も襟を正し、先達の方々から医療文書の書き方をご教示いただける書物である。基本姿勢の呈示とともに、懇切丁寧な各論があり、さまざまな場面を想定した医療文書が網羅されている。加えて、専門医・認定医のケースレポートも、多数の例を用いて、解説されている。

「本書が修業時代にあれば、どんなによかったろう」と思った筆者の提案で、当科医局用に2冊購入を決めた。今後の教育に活用する予定である。

さて、本書中の診断名はICDとDSMが混在しているが、精神科関連の公的文書がICDを基本としているため、ICDも残さざるを得ない点はあろう。一方、精神医学の診断体系として世界的に一般化しているのはDSMである。本書の「診断書に関する基本姿勢」の項目で、「精神症状を連ねるより、いつも使っているDSM-IV-TRの第5軸を用いた方が良い(一瀬邦弘先生)」と、紹介されているGAFは精神科病棟の入院基本料算定の根拠としても使われ始めた。精神科診断体系がICDとDSMのダブルスタンダードであるわが国の現状は、何かと混乱のもとである。たとえば、本書中、「専門医・認定医のケースレポート」では「情緒不安定性パーソナリティ障害」だが、紹介状では「境界性パーソナリティ障害」となっている。精神科医以外には、「情緒不安定性パーソナリティ障害」と言われても何を指すのかわからないのではないだろうか? さらに、DSMで採用されている多軸診断の概念が、ICDには欠如しているため、わが国では十分浸透していない。

将来的に、精神科の公的文書でDSMが採用され、専門医・認定医のケースレポートもDSMに基づいて書くことになり、本書改訂版ではDSMに統一され、「DSMの使い方に習熟した精神科医」が増えることを期待している。

精神医学の知と技 精神科と私

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日本の精神医学が歩んだ道を照らし出す

日本医療機器協会広報 No.206(2012年9-10月号) 医書の本棚より

精神科治療の黎明期はまだ手探りの治療が多かった。著者が語る過去の例には、統合失調症患者用の一般向けの電撃療法やインシュリン療法があり、前者はもちろんのこと後者はインシュリン投与で血糖値を下げて患者を昏睡に導き、そこから高張ブドウ糖を静注し、一気に覚醒させるという綱渡り的なものだった。それゆえ、ときどき覚醒がスムーズに行かなくてやきもきしたという著者の述懐がある。
本書は、精神科医として60年の経験を積む著者が、日本精神神経学会の学術総会時に「先達に聴く」というテーマに合わせ過去の仕事を語ったものである。「はじめに」にあるように昭和30~40年代、精神科は最も変化を遂げた診療科であり、その頃から本格的な薬物療法が日本で開始され、うつ病などは外来でも扱えるほど軽症化し、街にも精神科がクリニックとして進出し始め、今ではその数は全国で5,000を超えるまでになっている。
精神病の機序の説明で説得力のあるところは、分裂病の幻聴に言及して、これは病人が他者の話を聞くのではなく、“聞かされる、話しかけられる”という位相のもので、それゆえ、幻聴の多さに比べて、幻視という症状が少ない理由を不思議がるべきではないという。というのも、“聞かされる、話しかけられる”という症状に対応するのは、“他人から見られる、見透かされる”という症状を当てるべきで、それゆえ、そうしたものが幻視として症状化することは難しく、それが幻視の症状の少なさを語っている。ここに紹介されたのは、村上仁教授の学説だが、本書は他にも多くの精神科の泰斗、碩学の業績・学説を手短に紹介し、日本の精神医学が歩んできた道を照らし出しているかのようである。
ところで、著者が初めて著した本は、重症対人恐怖症に関する、『正視恐怖・体臭恐怖―主として精神分裂病との境界例について』(1972年刊)と題する学術書(藤縄昭・松本雅彦・関口英雄氏との共著)である。この本では、患者が対人恐怖で人と目を合わせられないという症状は、背後に自分の目から異様な力が発散されていて相手を傷つけてしまう、という特異な心理が働いているからだという。その根底には、「自我から何かが下界に向かって漏れ出していく」という妄想が潜み、それを著者達は、“自我漏洩症状”と命名した。これは統合失調症の患者特有のものではなく、境界例的な若い患者に見られる病態だという。
現在は薬物療法でかなりの症状が緩和される時代であり、妄想知覚などは、少量のリスペリドンの投与で消失し、幻聴は耳鳴り程度に軽減され、不安も喚起されなくなったという。問題は妄想知覚が消えても過去の妄想が間違いだったという病識に至らない患者が多くいることで、患者のなかには症状が改善された今では薬はいらないと拒否する者も出ている。それはともかく、現在、統合失調症は、向精神薬の著効に加えて疾患の軽症化が拍車をかけ、現在、患者の多くは入院後、2~3ヶ月で退院が可能にまでなっているという。
著者は、薬物によって精神症状が左右され、精神症状のあるものは、脳過程の変化によって直接説明できる段階にまで精神医学が達していると言いつつも、しかし、脳科学は精神とか心とかについて今のところ何も発見しておらず、人の人格と多少とも関係する脳の機能はあるのでしょうか、と疑問を投げかけている。
脳の働きというものと精神の動きというものは男女の間のような深い溝がある。しかし、そこにこそ精神過程を解析する精神病理学の存在意義があるのではなかろうか、本書からはそうした著者の呟きが聴こえてくる。
(S.C)

精神医学の知と技 吹き来る風に

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気骨にあふれた著者と出会える1冊

JAMHPNEWS 40号(2011年秋) 新刊紹介より

評者:松澤和正(千葉県立保健医療大学看護学科/日本精神保健福祉政策学会常任理事)

私は、先の本学会の学術大会特別講演で岡田先生のお話を初めてお聞きした。それは私にとって久しく経験したことない感慨を残すものだった。先生は精神科医としてのご自身の歩みと重ね合わせながら精神科医療の歩みを淡々と述べられていたのだが、その言葉と声に、独特の輪郭というか陰影のようなものを感じて惹きつけられた。そして時折、驚くほどラディカルな言葉(私にとっては)を、何ら違和感のないご自身にとっての「常識」というふうにして語られる。聞いている私としては一瞬たじろぐのだが、いつかは信じていたはずのものではないか、という気がしてきて、思わず気分が高揚している自分に気づくという経験であった。

その岡田先生による最新刊が今回の紹介の著書である。独特な語り口も問題意識ももちろん上記の講演と変わることはないが、著者のある種「孤高」ともいえる独自性の源泉がどのあたりにあり、それがどのように育てられていったのかが、本書を読むことによって厳しい現実との格闘や学究のなかで生み出されたものであることが理解できる。そして多くの場合、現実を生きやすいように自分を合せるなかで、あたりさわりのない「普通の人間」に変わっていくのが常であるが、本書を読んでいると、至る所でそんな常識に抵抗し続ける気骨にあふれた著者と向き合うことになる。

そういう著者と出会えるだけでも本書の価値はすでに十分であるが、浅学な私にとっては「目からうろこ」的な知識や歴史的エピソード等が満載であり、そうした意味でもたいへん感銘を受けた。たとえば、いまではおそらくどんな精神医学あるいは精神看護学関連の教科書にも載っている呉秀三の「此ノ邦ニ生レタルノ不幸」という一節が、実は筆者によって1960年代始めに再発見されたという事実である。私自身、「精神医療」の小史を看護学生に教える際、必ずこの言葉をかみしめることにしているが、それが実は半世紀ほども前に見出されたにすぎないという事実に正直驚きを覚えたしだいである。しかも、私は上記で「精神医療」という言葉をなにげなく用い、日常的にも法律的にもよく使われている言葉であるが、その言葉も著者らが刊行した本の題名に遡るものであることを知りこれにも驚かされた。(ただし、著者は、精神科以外の医療との同等性を考え、数年してこの言葉の使用をやめ、その後は「精神科医療」にしていると述べている)

それと私自身の現在の組織のなかでの若干の葛藤と引き比べて(といっても著者の時代とその激動の比ではないが)興味深かったのが、松沢病院時代の病院改革から始まり東京大学精神科でのいわゆる「赤れんが闘争」をくぐりぬけていく混沌と熱に満ちた時代記述の数々である。多くの様々な登場人物や組織などが入り混じって、まるで迷路のなかをさ迷っているかのような感覚にもなる。ただそのようななかでも著者の生き方はやはりかなり独特であり際だったもの感じさせずにはおかない。

たとえば松澤病院改革において、最初は「自由闊達で下剋上的傾向がつよい」医局会議で、著者は改革に向けて激しい発言をくりかえすが、やがて周囲の組織的な風向きが変わり、最後はほとんどひとりになってしまうも持論を取り下げず、ついには管理者からの攻撃をうけ辞職を宣言するまでになる。ただしこの間もたんなる体制批判に留まらず、男子不潔病棟と通称された病棟改革での地を這うような実践も積み重ねられている。その後の東大赤れんが時代も、「まさに多事、怒濤にもまれる」日々であり、様々な組織的・政治的活動に関わるものの、やがて「激しい運動のなかの無秩序」に耐え難くなり「このままでは医者ではなくなってしまう」との思いから、大学を去る決意をするのだが。その間、大学教員や病院長などの就職話が舞い込んでも断り、すでに学位も持たぬと決めており、大学を去って地域の診療所に勤務するということになる。

その後は、著者のまさにライフワークともいうべき精神科医療史への傾倒と集中の歩みが始まる。精神科医療史研究会を設立し、著者が「再発見した」呉秀三に関するものをはじめ、松沢病院史や精神衛生法改正等に関連した多彩且つ膨大な著作が生み出され、近年では、2002年に集大成ともいうべき「日本精神科医療史」を出されている。そして今回紹介の著書は、いわばこれまでの志に貫かれた業績や歩みを、著者自身のライフヒストリーとしてかなり独特な生の語りと共に編み上げたもの、というにふさわしいものである。それゆえ、本書に位置づけられた様々な論考や著作の行間には、いわば新たな連関と統合のなかで、著者自身の等身大で独特な思想性が滲むように表現され現れてくるのを感じさせる。

なかでもそれを強く印象づけるのが、本書の至る所に散見され、また第4章に詳しく言及されている著者の「言葉」あるいは「言語表現」に対するこだわり(というにはより本質的な部分)につらなる問題意識ではないだろうか。著者にとって、言語こそがまさにものの考え方や捉え方、つまり思想性をあらわにするものであり、その意味においても歴史のなかに言葉を位置づけ現実に向かうための道具として錬磨することの重要性が強く意識されているような気がする。そのことを、著者は、あとがきのなかでも端的に表現していて、「失礼します」と言って部屋(診察室)に入って来る日本人のあり方そのものが、すでに「日本に絶望する」ことに結びついてしまうのである。あるいは「可決成立」というふうに(自動詞と他動詞が)同居してしまう表現主体の曖昧さを指摘しつつ、結局そこに、この国の人間の個としての責任主体への無自覚を見出し嘆くというか絶望している。そして、こうした事態への自覚と覚醒だけがこの国を救いうるという、まさに歴史家として著者の矜持が主張され、私自身深く感銘しないではいられなかった。

私は、さらに、このあとがきのなかに、(この国は)「世界のなかの二流国、三流国としての地位に目ざめ、そのなかでよりつつましい生き方をもとめていくことをめざすべきだろう(一流の派手なあり方を目ざしていては、こころやむ人は置き去りにされるばかりである)」という非常に魅力的な一文を読み、ますます先生の「偏人」さの深さとある種の暖かさに心酔してしまったことを告白したい。


精神科医療の現代史

日本医史学雑誌 第57巻第4号(2011年) 書評より

評者:坂井建雄(順天堂大学 医学部 解剖学・生体構造科学)

本書の著者である岡田靖雄氏は,2002年に『日本精神科医療史』(医学書院)を上梓されている。長年にわたり蒐集してこられた精神医療史の膨大な資料をもとに,奈良時代から現代(1965年頃まで)の我が国の精神科医療の歴史を記述された浩瀚な著作である.

この岡田氏による近著『吹き来る風に―精神科の臨床・社会・歴史』は,いわばその続編のようなものである.精神科医療に携わり,東大精神科の赤レンガ闘争にも関わったまさに当事者による精神科医療の現代史である.しかしそれはもはや,精神科医療史の歴史を客観的に記述する歴史ではありえない.客観的に把握することのきわめて困難なこのような同時代史を描くために,著者の岡田氏は一見したところ奇妙にも見える道具立てを用意している.

本書の冒頭「第1章 たどってきた道」では,著者自身の個人史が語られている.しかも著者自身は「わたし」として語られることはなく,首尾一貫「かれ」として語られている.高等学校卒業までのこと,東京大学の駒場と本郷でのこと,医学部を卒業後に精神科に入局し,松沢病院で医療に携わり,東大精神科の赤レンガ闘争に巻き込まれ身を退いたこと,荒川の診療所での医療,精神科医療史と社会的活動のことなど,著者のたどってきた道が語られる.そして「かれ」のことを偏人であるという.行動特性や個性のさまざまな側面を客観的に記述する.貪欲さはなく贅沢はしない.つきあいは義理がたい.弁舌はさわやかではない.慎重である.今でも本,雑誌はよくよんでいる.そして「かれの感じ方・思いは同年代の大多数とはかなりちがっている.我がつよくて協調性にかけるということになりそうである.でも自分の行動は我にしたがっていくしかない.」

このように著者自身のことを規定した後,「第2章 臨床」では自身の精神科医療の経験やそのあり方についての認識が述べられる.岡田氏編の『精神医療―精神病はなおせる』(勁草書房,1964年)と岡田氏著の『精神科慢性病棟―松沢病院1958-1962』(岩崎学術出版社,1972年)の成立事情や内容が紹介される.外来診療での経験といくつかの症例が紹介される.著者である「かれ」の周辺の人たちが観察され,その行動が描かれているのが興味深い.そして岡田氏の論文「病院のなかで考えたこと――臨床精神医学の方法論によせて――」(精神神経学雑誌,第64巻,1962年)が再掲される.

「第3章 社会」では,ライシャワ大使刺傷事件につづく精神衛生法一部改正に対する反対運動,岡田氏著の『差別の論理――魔女裁判から保安処分へ』(勁草書房,1972年)の内容紹介,保安処分への反対と医療観察法への対応などが述べられ,岡田氏の論文「精神疾患患者への偏見をつくるもの――新聞記事の分析――』(社会医学研究,第13巻,1973年)と「ある一般病院精神科外来における朝鮮人」(日本社会精神医学会雑誌,第2巻,1993年)が再掲されている.

「第4章 歴史」では,岡田氏による戦争と精神科医療,病院史,団体史,呉秀三先生伝とその周辺,その他の仕事が紹介される.精神科用語への取り組み,歴史をまなぶことについての考察が述べられる.岡田氏の論文「ノートから 東京大学医学部卒業者名簿」(科学医学資料研究,第165号,1988年),「ノートから サムス『DDT革命』への疑問」(科学医学資料研究,第175号,1988年),「精神科における用語について」(精神神経学雑誌,第100巻,1988年)が再掲されている.

岡田氏の同時代史は,さらに現在も進行中である.『青人冗言』(青柿舎)と題する小冊子のシリーズを刊行中で,第1号『歴史をゆがめるもの――医学史研究の方法にふれて」』(1993年11月)から始まり,近刊の第7号『戦争のなかの精神障害者』(2011年6月)まで続いており,第10号まで目標にしているとのことである.

精神医学の知と技 技を育む

精神医学の知と技 技を育む published on
看護教育 2011年9月号 Vol.52 No.9 BOOKSより

精神療法の第一人者の半生記が1冊にまとまった。精神医学における知と技の寄与し合う関係をひも解き,自らがどのように技を育んできたのか,その工夫と心の軌跡をたどり,「多くの方々に負担と害を及ぼしてきました」(「おわりに」より)と,進歩ばかりでなく,弊害をも冷静に振り返る。精神科医としての「不安な船出」から,「離魂融合」という独自の面接法に至る道筋は圧巻

精神医学の知と技 精神症状の把握と理解

精神医学の知と技 精神症状の把握と理解 published on
『こころの科学』2009年5月号(No.145)「ほんとの対話」(書評欄)より

評者:神田橋條治

時を越えて読み継がれ導きの役をなす書籍を「古典」と呼ぶ。初版の時点ですでにその位置を約束される著作が稀にある。

待望久しい、原田憲一先生による「症候学」を手にした。嬉しい。症候学は精神医学という文化の始原であり基盤である。症候学がなければ精神医学はなく、症候学が揺らげば精神医学も不安定になる。昨今の様相の一因である。
症候学の作業は精神現象を「認識」して「記述」することであるが、両者は互いに影響しあうので、作業は錯綜する。言葉が参与するからである。あらかじめ輪郭定かに存在する事物を拾い集めて命名する作業ではなく、連続と流動とを本質とする現象界を、言葉で切り分けて取り出す作業だからである。

その作業は古人により営々と続けられてきている。それをまず押さえておかねばならない。文化の継承である。
そのうえで、現在の精神医学の暗黙の要請を読み取り、さらには、自身の体験との整合性に照らしながら、新たな認識と記述とを組み立てねばならない。当然そこには、未来への視点も必要である。

(中略)

原田先生は自身の作業を客体化して読者に提示してくださっている。おそらく、先生の誠実さの現れであり「真理への愛」の延長なのだろうが。この姿勢のせいで、「記述現象学」と自覚される先生の世界が「フッサール現象学」へも開かれている。さらに、先生の誠実さは語られる言葉の一つひとつに重みと背景とを含ませる、あるいは匂わせる。

本書は、中山書店の「精神医学の知と技」というシリーズの第一巻である。圧巻の嚆矢であり、続く人々の苦労が思いやられる。

(後略)

精神医学エッセンシャル・コーパス 3 精神医学を拡げる

精神医学エッセンシャル・コーパス 3 精神医学を拡げる published on

どれもが現在読んでもなお新鮮で,書かれた当時のこれは絶対伝えたいという著者たちの濃厚な想いが漂ってくる

精神医学 Vol.55 No.9(2013年9月号) 書評より

書評者:江口重幸(東京武蔵野病院)

精神医学関連の施設や図書館ならば,今でも,真紅の堅牢な表紙で装丁された『現代精神医学大系』(全25巻56冊)が書棚に並ぶ一画があるだろう。この『大系』は,規模といい内容といい,日本の精神医学にとって空前絶後の企画であり,同時代このシリーズのお世話にならなかった精神科医はいなかったと思われる。そこに収められた全650編の論文の中から,25編をセレクトして3巻(『精神医学を学ぶ』『―知る』『―拡げる』)に編集したものが,この『精神医学エッセンシャル・コーパス』である。
『現代精神医学大系』は1975~1981年にかけて順次刊行されており,その最終巻が出てからすでに30余年が経つことを改めて知ると感慨深い。評者は1977年に医学部を卒業したが,ここに所収された論文は,駆け出しの精神科医の時に,コピーに何色かの色鉛筆で線を引いて,書き込みをし,すべて吸収しようと試みたものであり,それらは書斎の隅でまだ眠っているであろう。
なかでもこの第3巻の『精神医学を拡げる』は,次第に文化精神医学や精神医学史に開眼していった評者にとって忘れることのできない論文で溢れている。吉野雅博による感応性・祈?性精神病論,小林靖彦による日本の精神医学史,そして荻野恒一による文化精神医学の絶好の入門編が収められており,これに,関西で臨床をはじめた者にはなじみが深く懐かしい,鳩谷 龍と藤縄 昭による2つの非定型精神病論があり,心因反応,拘禁反応,離人症を論じた諏訪 望,福島 章,木村 敏の論文が並ぶ。さらに仲宗根玄吉による責任能力論と神田橋條治による境界例治療論も加えられている。いずれもその領域の不動の第一人者による,各人「てだれ」のテーマ10編のセレクションである。その論考一つひとつに,本コーパスの編者である松下正明,井上新平,内海 健,加藤 敏,鈴木國文,樋口輝彦が短い解説文を付けて,新たな息吹を吹き込んでいる。
今から振り返ると,1980年にDSM-IIIが登場するまでの1970年代は,世界的に見ても,精神医学の人間科学化が加速した例外的な時期であった。これは日本における精神療法や精神病理学のピークの時でもあった。当時は精神医学的知の生産はおもにヨーロッパでなされ,その後の米国製のDSMのようにその枠組みが定期的にバージョンアップされ,その分割によって診断自身が変容するなどということはまったく考えもつかなかった。診断基準や臨床的枠組みは,精神医学的な「真理」に向かって収斂していくものであった。もちろんそれには一長一短あって,往時を懐かしんですべて昔がよかったと言いたいわけではない。しかし,こうしたかつての枠組みを離れてから,臨床に何がもたらされたのか? 臨床場面で精神科医の力は上がることになったのだろうか? それについては真剣に問い直してもよいと思う。
『精神医学エッセンシャル・コーパス』全3巻,特にこの『精神医学を拡げる』に収められた論考は,まさに日本の精神医学の最高の時期,ワインでいえば当たり年に,奇跡のようにこの世に贈り出されたものといえる。本書は,30数年寝かせて熟成したものが,新しい革袋に入れられて届けられたものと考えてもいい。どれか心にとまる一編を読んでほしい。そのどれもが現在読んでもなお新鮮で,書かれた当時のこれは絶対伝えたいという著者たちの濃厚な想いが漂ってくるにちがいない。

精神医学エッセンシャル・コーパス 1 精神医学を学ぶ

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臨床に習熟し始めた若手が足場がために読むのにも,ベテランがもういちど足場を確認するのにもお勧め

臨床精神医学 Vol.42 No.9(2013年9月号) 書評より

書評者:小林聡幸先生(自治医科大学精神医学教室)

そういえば『よりぬきサザエさん』というのがあったが,本書は全25巻56冊と別巻に及ぶ『現代精神医学大系』から,より抜いて3巻にまとめた『精神医学エッセンシャル・コーパス』の第1巻である。『大系』が出版されたのは1970年代後半から80年代初頭であり,今回『コーパス』により抜かれたのは30年以上経過しても古びていない珠玉の論文である。とりわけ本巻『精神医学を学ぶ』では精神医学の基礎・基盤を扱った論考か集められている。
本巻の各論文のテーマを列挙するなら,患者をわかるということ,心身相関,Eyの意識論,人間学的現象学,生活史,面接法,社会精神医学である。いささか雑然としているようにも見えるが,個々の疾病論の前に患者を診ることの原理的な問題を扱ったものばかりである。とりわけ冒頭の安永の「精神医学の方法論」はかなりの分量で,症状や診断について語る前に,他人である患者の精神内界に起こっていることを医者がとらえることがいかにして可能なのかを論じている。この論考を著者白身は「われわれの足場の反省と整理」と述べているが,それは本書の他の論文についても該当することである。本書では編者が各論文に「解説」を加えているのも興味深く,内海 健は安永の「了解は説明をそのうちに含む。その逆はない」というテーゼが,Jaspersの呪縛を完膚なきまでに解きほどいたと称揚しているが,それは人間学的な「了解」が臨床の認識を遍く覆っているとも言い換えられるだろう。
そこで,本巻の3分の1以上の紙幅を占め,ほとんど1冊本の分量を有しているのが,宮本忠雄・関 忠盛「人間学的現象学」である。その前史から説き起こし,Binswangerを結節点としてその理論的歩みを追いながら,人間学的現象学を形付け,そのあと,各論として,時間と空間,妄想論,幻覚論,雰囲気論,身体論を扱い,治療にも言及したうえで,今後の課題をあげるという堂々たる構成である。こうした人間学的な記述がない限り,われわれの臨床は「認知障害」といった言葉ばかりになって,語彙不足に陥るのではないかという意を強くした。本巻の各論文は,安永論文がその個人著作集に収録されているくらいで,あとは図書館にでも出向いて『大系』を紐解かなければ読むことはできないので,こうしてまとめられ再刊されたことは意義がある。
あとは短めの論文である。西丸四方・大原 貢「心身相関―その思想と系譜」を読むと,bio-psycho-social modelなどといってわかった気になっているが,精神と身体の関係の問題は,いまだにフロンティアであることに気づかされる。大橋博司「ネオ・ジャクソニズム―Ey, H. の意識論を中心に」はEyの理論の要を得た解説で大変重宝。西園昌久「生活史」は主として精神分析の立場から,病因論としての生活史をみたもの,保崎秀夫「面接の進め方」は精神科の診察の肝である面接の入門,いずれも精神科臨床の人間学的な側面に注目したものということもできるだろう。
いささか毛色が違うのが,佐藤壱三「社会精神医学の位置づけ」で,これは発表時点(1981年)までのわが国の主として地域精神医学としての社会精神医学の歴史を述べたものである。この年に社会精神医学会が設立され,さらにそこから多文化間精神医学会が分派し,その後,社会精神医学会の編集で教科書『社会精神医学』(2009)も発行されていることからすると,学会前史の記録ということになろう。
ハウツー本では得られない「われわれの足場の反省と整理」である本書は,臨床に習熟し始めた若手が足場がために読むのにも,ベテランがもういちど足場を確認するのにもお勧めである。評者はというと,「およそ科学は,その目標とするものが実際に存在することがわかっていて仕事するのではない」という安永の言葉に勇気づけられた。

子どもの心の診療シリーズ 6 子どもの人格発達の障害

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たいへんなケースと向かい合うための多くの重要なヒントが散らばっている

精神療法 Vol.38 No.3(2012年6月号) 書評より

評者:牧真吉(名古屋市中央療育センター)

本書は,子どもの心の診療シリーズ8冊のうちの1冊であるが,一番最後になって出されたものであり,やはり,最後にならざるをえない題材である。それというのは,国際疾病分類(ICD)ではわざわざ「成人のパーソナリティ障害」としてあるように,子どもに対してはパーソナリティ障害を診断はしないという了解事項があるからである。それでも現実には子どもでも似たような事態があるのをどのように考えるのかということで,子どもの人格発達の障害という題名に工夫がこらされていると思う。どのように書き進まれるのだろうかと大変興味が引かれるテーマである。「はじめに」のところでこの辺りの経緯が書いてあり,どのようにしてパーソナリティが発達していき,どんなことでその発達がうまくいかなくなるのだろうかという疑問を刺激され,興味をひいた。

Iの総論の中でこれまでに子どもの人格についてはどのように考えられてきたのかをまとめて,その行き着いた先としてKernbergの人格の構成要素を用いながら人格の発達を考えている。IIでは,そこであげられたパーソナリティを構成する要素について分担して書かれており,それぞれの領域で今わかっていることが詳しく書かれている。この内容は全体を組み立てて理解をしないことには収まりのつかない内容であり,その努力は読者に託されている。この本にあるように同時にいろいろな考え方,見方を身につけることができることが一番役に立つはずであるが,そうするとストンとわかった実感を持つことができない。現に分担執筆者も自分の範囲を超えてもあれもこれも書いていかざるをえない。その膨らみをいかに消化しながら読み進むことができるかを問われてしまう。それほどに内容は濃いものである。個々に取り上げてもヒントになることは多く,ジェンダーの項では,生物学的な性でさえも簡単に二分することはできず,スペクトルのように連続していることを知らされた。また母子関係のところでは,「そのような母親が,人一倍の感度を働かせて子どもに向かい合うということがいかにたいへんであるかを考えずに,育児を不適切であると判断することは,支援の手がかりを見失いかねない」さらには,心的外傷,アタッチメント,発達障害の関係,分析的な理解など得ることが多く,いろいろ考えさせられる。

IIIでは,パーソナリティ障害とその前段階としての性格傾向を取り上げ,IVでは,治療論を取り上げている。その中で,松田が,治療の要点としてあげている中に,「治療スタッフと治療者自身の疲弊を癒やすための方法と場について話題にし,あらかじめ準備しておくことが必要である」と書いているなど,たいへんなケースと向かい合うための多くの重要なヒントがこの本の中には散らばっている。そうしたことを読者が見つけ出していくおもしろさがある。まさに叢書の一冊となっている。