日本の精神医学が歩んだ道を照らし出す

日本医療機器協会広報 No.206(2012年9-10月号) 医書の本棚より

精神科治療の黎明期はまだ手探りの治療が多かった。著者が語る過去の例には、統合失調症患者用の一般向けの電撃療法やインシュリン療法があり、前者はもちろんのこと後者はインシュリン投与で血糖値を下げて患者を昏睡に導き、そこから高張ブドウ糖を静注し、一気に覚醒させるという綱渡り的なものだった。それゆえ、ときどき覚醒がスムーズに行かなくてやきもきしたという著者の述懐がある。
本書は、精神科医として60年の経験を積む著者が、日本精神神経学会の学術総会時に「先達に聴く」というテーマに合わせ過去の仕事を語ったものである。「はじめに」にあるように昭和30~40年代、精神科は最も変化を遂げた診療科であり、その頃から本格的な薬物療法が日本で開始され、うつ病などは外来でも扱えるほど軽症化し、街にも精神科がクリニックとして進出し始め、今ではその数は全国で5,000を超えるまでになっている。
精神病の機序の説明で説得力のあるところは、分裂病の幻聴に言及して、これは病人が他者の話を聞くのではなく、“聞かされる、話しかけられる”という位相のもので、それゆえ、幻聴の多さに比べて、幻視という症状が少ない理由を不思議がるべきではないという。というのも、“聞かされる、話しかけられる”という症状に対応するのは、“他人から見られる、見透かされる”という症状を当てるべきで、それゆえ、そうしたものが幻視として症状化することは難しく、それが幻視の症状の少なさを語っている。ここに紹介されたのは、村上仁教授の学説だが、本書は他にも多くの精神科の泰斗、碩学の業績・学説を手短に紹介し、日本の精神医学が歩んできた道を照らし出しているかのようである。
ところで、著者が初めて著した本は、重症対人恐怖症に関する、『正視恐怖・体臭恐怖―主として精神分裂病との境界例について』(1972年刊)と題する学術書(藤縄昭・松本雅彦・関口英雄氏との共著)である。この本では、患者が対人恐怖で人と目を合わせられないという症状は、背後に自分の目から異様な力が発散されていて相手を傷つけてしまう、という特異な心理が働いているからだという。その根底には、「自我から何かが下界に向かって漏れ出していく」という妄想が潜み、それを著者達は、“自我漏洩症状”と命名した。これは統合失調症の患者特有のものではなく、境界例的な若い患者に見られる病態だという。
現在は薬物療法でかなりの症状が緩和される時代であり、妄想知覚などは、少量のリスペリドンの投与で消失し、幻聴は耳鳴り程度に軽減され、不安も喚起されなくなったという。問題は妄想知覚が消えても過去の妄想が間違いだったという病識に至らない患者が多くいることで、患者のなかには症状が改善された今では薬はいらないと拒否する者も出ている。それはともかく、現在、統合失調症は、向精神薬の著効に加えて疾患の軽症化が拍車をかけ、現在、患者の多くは入院後、2~3ヶ月で退院が可能にまでなっているという。
著者は、薬物によって精神症状が左右され、精神症状のあるものは、脳過程の変化によって直接説明できる段階にまで精神医学が達していると言いつつも、しかし、脳科学は精神とか心とかについて今のところ何も発見しておらず、人の人格と多少とも関係する脳の機能はあるのでしょうか、と疑問を投げかけている。
脳の働きというものと精神の動きというものは男女の間のような深い溝がある。しかし、そこにこそ精神過程を解析する精神病理学の存在意義があるのではなかろうか、本書からはそうした著者の呟きが聴こえてくる。
(S.C)