ENTONI Vol. 286(2023年7月号)「Book Review」より

評者:小川 郁(慶應義塾大学名誉教授/オトクリニック東京院長)

難聴は多くの疾病によって生じる最も頻度の高い耳症状の一つであり,昨今の高齢化によって認知症の観点からも注目されている.しかし,世界的な高齢化が急速に進んだ最近の40年間に難聴に対して保険適用された治療薬としては本書「鼓膜再生療法手術手技マニュアル」の主役である鼓膜穿孔治療剤リティンパRが初めてである.山中伸弥教授によってiPS細胞が発見されてから多くの領域で再生医療の研究開発がしのぎを削る中,いち早く保険適用された鼓膜穿孔治療剤による「鼓膜再生療法」はまさに画期的な薬剤であり,世界的にも注目されている治療法である.

鼓膜穿孔による難聴の頻度は加齢性難聴など超高齢社会で急増している難聴の中ではそれほど高いものではないが,合併する耳鳴や耳漏などの症状とともに患者さんのQOLに大きく影響し,その簡便な治療法となる鼓膜再生療法は患者さんにとっても大きな福音となることは間違いない.単に鼓膜穿孔閉鎖による難聴の改善のみならず,耳漏の停止による補聴器の適切な装用が可能になるなど,その効果は極めて大きい.従来,鼓膜穿孔の治療法としては鼓膜形成術や鼓室形成術が行われていたが,いずれも鼓膜形成に必要な筋膜や軟部組織の採取のための外切開や時には全身麻酔が必要になることを考えると,通常診療の座位で外切開を要しない「鼓膜再生療法」は高齢者にとっても極めてやさしい治療法になっている.

「鼓膜再生療法」は2004年に金丸眞一博士によって研究開発が始められ,足掛け20年を費やし完成した治療法である.多忙な日常臨床の合間にこつこつと研究開発を進め,基礎研究から臨床研究,そして2019年の保険適用までまさに孤軍奮闘で成し遂げた画期的な治療法であり,金丸博士の卓越した研究の構想力と遂行力,臨床応用における組織力には心から敬意を表したいと思う.また,本書『鼓膜再生療法 手術手技マニュアル』の発刊は編集を担当された金井理絵先生と各項目を執筆された先生方,素晴らしいイラストを提供された山口智也先生など主に田附興風会医学研究所北野病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科のチーム力によるものであり,改めて金丸眞一博士の人望のなせる大きな成果であると言える.金丸博士が序文で述べられているように,「鼓膜再生療法」は完成された治療法ではなく,生まれてやっと独り立ちできた段階である.今後,さらに「鼓膜再生療法」の改良や臨床例の蓄積により,一人でも多くの患者さんの笑顔に接することができるように「鼓膜再生療法」が普及,日常臨床に浸透することを,そして本書がそのための座右のテキストとして活用されることを期待したい.