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専門医のための精神科臨床リュミエール 30 精神医学の思想

専門医のための精神科臨床リュミエール 30 精神医学の思想 published on

精神医学とその関連領域の最近の進歩を安心して学ぶ格好の教材

精神医学 Vol.54 No.9(2012年9月号) 書評より

評者:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)

本書の「序」によると,日々新たに加わる精神医学上の課題の解決の方向を照らしだす光(フランス語:リュミエール)の役割を果たすことを目的に刊行されてきた本シリーズも一旦,本書をもって休止されるという。従って本書はいわば,これまでの本シリーズの総括書である。題して,『精神医学の思想』。評者のような年輩の者ならずとも,日々のおのれの臨床の所為にいささかな思いをしている精神科医は手にしたいネーミングの本である。というのも精神医学は人間存在,そして社会のあいまいさ,不確かさに対応せねばならない。つまり,精神科医は本来,「考える人」であることを求められるのである。それに応ずるかのように,本書の「序」で2人の編者は連名で,“そもそも精神の自由とはどういう状態なのか,そして究極的には,人であるとはどういうことなのかなどの疑問を抱きながら,精神医学は精神を病む人びとと向きあうことになる”と記している。その謙虚さこそ精神医学を成り立たせるものであろうし,本書編集の基本的態度であろうと読みとれる。
本書は6章21項目からなる構成である。それを紹介することは指定された字数を超えるためできないが,よくもまあこれだけのテーマを用意され,しかもそれにふさわしい執筆者を集められたものと思う。大学を辞めて10数年経つ評者には執筆者の多くの方は未知の人であるが,それぞれの内容はそれぞれの専門の立場から本書の『精神医学の思想』の趣旨にそった論述をされ,徒らに自己の立場に拘わるという論文は見あたらない。その意味で,精神医学とその関連領域の最近の進歩を安心して学ぶ格好の教材である。わが国の精神医学研究陣の健在さとその可能性をあらためて実感することができた。
第1章には「精神医学とは何か」と題して本書の基調をなす内容が明らかにされている。その中で,精神医学は,「精神疾患に病む人の人間理解」として,脳疾患の次元からみた理解,気質・体質,パーソナリティの次元から見た理解,現象学的次元から見た理解,人間学的次元からみた理解,社会・環境の次元からみた理解よりなる「5次元的精神医学」が解説されている。DSM-Ⅲがあらわれる前までに精神科医に育った人たちには,その一部をあげれば懐かしいKraepelin, Jaspers, Schneider, Kretschmer, Rumke(uはuウムラウト), Minkowski, von Gebsattel, Binswangerなどの精神科医の名前が陸続と登場しその学説が病む人の人間理解という視点から解説されている。「人間学的次元からみた理解」の中で,はじめFreudの影響を受け,後にそこから離れて独自の現存在分析を創始したBinswangerの解説に著者の思いがこもっているように見受けられる。そのBinswangerは,彼自身の著書の中で,“聴くこと,それは精神医学における鍵技能である。Freudの影響が及ぶ前は,精神科問診は衣服やシャツの上から打聴診するに等しく,患者の本質的なことは取り残され確かめられないままであった”と記していることを紹介しておきたい。DSM-Ⅲ以降の精神科診断に対するある種の閉塞感もBinswangerの戒めに従えば時代的逆行と云えよう。『精神医学の思想』を語る時,更に論じていただきたいことは,人類社会の発展の折々の時代精神の変化が疾病構造とそれに対応する精神医学の内容に与えている影響についてである。そして,社会精神医学の理念と関連した精神科チーム医療も大切なテーマと思う。ともあれ,精神科医の必読の本である。日本精神神経学会学術総会などで論じあうのに最適のテキストである。


いくつもの教訓を得られること間違いない

臨床精神医学 Vol.41 No.8(2012年8月号) 書評より

評者:原田憲一(武田病院)

本書は松下正明総編集によって4年前に出発した〈リュミエール〉シリーズ30巻の最終を飾る論文集である。
本論文集の責任編集者神庭重信,松下正明両氏による序文にこの本の意図がわかりやすく述べられている。すなわち「精神医学とはどういう医学なのか」,「精神を病むとはどういうことか」,「精神医学の乱用と倫理性の問題」,「脳-心問題」そして「精神医学と人文科学」といった問題意識をもってこの本は編まれた。
いくつか私に強い印象を与えた言説を記す。
20世紀の精神医学を形作った現象学的,人間学的,社会学的思想は21世紀にも必要である(松下正明)。ヒトの進化にかかわる遺伝子は,別の神経活動の関連遺伝子に比べて,統合失調症とより強いつながりを持つ。今日正常性の基準の底上げが顕著で,それは過剰規範の性格を帯びる(加藤 敏)。文化結合症候群のことを考えれば精神医学概念が普遍妥当性をもっていないことがわかる(下地明友)。精神医学は反精神医学とともにあって初めて正確に機能するものである(鈴木國文)。精神医学というのは,原因不明なものや説明不可能なものこそを扱う運命にあるように見える。近年は人が経験する苦悩の多くを精神的な問題をして医療化する傾向にあり,操作的診断はその具体化を図っている(岡田幸之)。神経倫理学とは,人間の脳の治療やエンパワーメントの正邪を論じる哲学であり,すでに200年前から論じられてきた(香川知晶)。「病因指向的」な治療思想でなく,「回復指向的」な治療思想が大切だ(八木剛平)。精神分析は患者の悩む能力,悩む容量の拡大を目指しているが,決して悩みそのものを消そうとはしない(藤山直樹)。強制治療に関わるリーガルモデルを進めると脱施設化は進展したが,刑務所に収容される精神障害者が増えた。そのため米国ではパターナリズムの有用性が再評価されている(五十嵐禎人)。病名の告知や医療の必要性についての専門家の無思慮な説明が,「内なる偏見(self stigma)」(患者自身が自分の存在に対して偏見をもつこと)を高めてしまっている(藤井千代)。
また,ロシア精神医学の,脳と高次精神機能に関する力動的理論のわかりやすい解説(鹿島晴雄)や,聴き取りに基づいた医学(narrative-based medicine)についての良い説明(野田文隆),さらに,英国の経験論哲学がその国の精神医療において「疾患単位」より「援助実践」を重視することの思想的基盤になっていることの明示(花村誠一)など,示唆の富む論文を見いだすことができる。精神医学と宗教文化の相補性のこと(島薗 進),今日の精神医学の問題点を歴史の上に跡づける論文(大塚耕太郎)や,米国精神医学会の歴史を辿った明晰な記述(黒木俊秀)など教えられるところが多い。村井俊哉,中根秀之,古茶大樹,樋口輝彦,三好功峰氏らの論文にも,それぞれに味わいがある。
読者によって,関心の強い論文を選んで熟読するのもよし,あるいは全部を通読して精神医学の多面性に一層の目を開かされるのもよい。いくつもの教訓を得られることは間違いない。
この本の標題「精神医学の思想」とは,精神医学を成り立たせている,あるいは隣接している諸科学,特にピアジェのいう「人間科学」の考え方(思想)を展望しようという意味だろうが(そしてそれは見事に成功しているが),それ以上に私には本書の標題が,奇しくも「ひとつの思想としての精神医学」との含意をも匂い立たせているように感じた。
精神科医のみでなく精神医学に関心のあるすべての方々に本書を推薦する。

専門医のための精神科臨床リュミエール 23 成人期の広汎性発達障害

専門医のための精神科臨床リュミエール 23 成人期の広汎性発達障害 published on

幅広い臨床の「知と技を磨く」ための一冊

臨床精神医学 Vol.41 No.6(2012年6月号) 書評より

評者:広沢正孝(順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科)

近年、成人の精神科医療の現場で、高機能広汎性発達障害(高機能PDD)は空前の注目を浴びているといっても過言ではなかろう。今ではこの概念の普及は、教育現場や職場のメンタルヘルス場面にも及び、なかにはみずから自閉症やアスペルガー症候群ではないかと疑い、医療現場を訪れる人も出てきた。しかしPDDの概念の急速な発達は、われわれにさまざまな混乱をもたらしていることも確かである。とくにアスペルガー症候群をはじめとする成人の高機能PDDの診断、症状の評価、治療をめぐっては、種々の見解が飛び交い、試行錯誤の状態であるともいえるのが現実であろう。
残念なことに、わが国においては「成人の広汎性発達障害」をさまざまな視点からコンパクトにまとめた成書はほとんど存在しない。その意味で本書は、今日の精神科医療に携わる者が待ち望んでいた一冊ともいえよう。
本書は、『専門医のための精神科臨床リュミエール』の第Ⅲ期シリーズのなかの1冊である。本書が対象としているのは、すでに幼児期・学童期からPDDと診断され、療育や教育的配慮がなされている人たちではなく、成人になるまで気づかれずにいた人たちである。本書の狙いは、その人たちを一般精神科医がどう理解し、どう援助するかにある。
本書は、総論、従来の精神疾患との関連、さまざまな援助、という3部構成になっている。まず第I部の「総論」では、成人期のPDDに関する総説(特徴的な臨床像、発達心理学的理解、診断方法と診断の意味および診断の功罪をめぐる問題、近年臨床場面で遭遇しやすい「発達障害を疑って受診する」人々の臨床的実態と対応方法、生物学的な特徴と最新の知見および長期経過・長期予後)のほか、発達障害者自身による成人期の当障害に関する現象学的解釈(当事者研究)や対人関係・社会文化的見解が述べられていて読み応えがある。
第II部の「従来の精神疾患との関連」では、統合失調症、うつ病、双極性障害、摂食障害、強迫性障害、解離性障害・転換性障害、パーソナリティ障害といった、成人期のPDD者が罹患しやすい精神障害を取り上げ、各分野の日本の代表的な臨床家・研究者が、PDDとの関連を述べている。読者はここで、PDDと各精神障害との合併にまつわる疾病学的な問題、その際PDD者が呈する各障害の非定型像(PDDらしさ)と、各症状の現象学的、精神病理学的ないし人間学的解釈、各障害の経過の特徴や薬物療法をはじめとする治療方法の問題を、深く、かつ整理して学べると思う。さらに多くの項目で詳細な事例が提示されており、おそらく読者は、自身が「一度は出会ったことのある」患者の記述をたよりに、成人のPDD治療の「勘」を育むことができると思う。
第III部の「さまざまな援助」においては、精神科医にとって成人の高機能PDD者に遭遇しやすい場(大学キャンパス、デイケア、総合病院外来など)が設定さて(原文ママ)おり、各場面で観察される彼らの具体的な精神症状や行動特徴、それに対する対応方法(具体的なプログラム)、さらには告知にまつわる具体的な考え方が記載されている。また成人のPDD者に特化した支援方法として、当事者支援、グループ療法、特に当事者グループが取り上げられ、ここでも具体的な事例を通して、われわれが考慮すべき視点が示されている。最後に治療法として薬物療法と精神療法が挙げられ、いずれもベテラン臨床医の具体的な経験が披露されている。
このように本書は、現在の精神科臨床課題である成人のPDDを理解するにあたり、よき道案内者となる。特に専門医として活躍されている精神科医や、これから精神科専門医を目指そうとしている精神科医にとっては、幅広い臨床の「知と技を磨く」ための一冊にもなろう。


われわれが今こそ行うべきことは,腰を据えた臨床である,そんな当たり前なことに気づかせてくれる本

精神医学 Vol.54 No.5(2012年5月号) 書評より

評者:田中 康雄(こころとそだちのクリニック むすびめ / 北海道大学名誉教授)

本書は,『専門医のための精神科臨床リュミエール』第3期の1冊として上梓された。そもそもこのシリーズは,現代精神科臨床のなかで従来の教科書では看過されやすいテーマを最新かつ多面的な視点により掘り下げて論じることで,精神科医としての知と技に一層の磨きをかけることを目的としている。
結論を先取りすると,本書はこの目的を遙かに凌駕したと評者は断言する。
この成功は,ひとえに編者であり執筆陣の要としてご尽力された青木省三氏と村上伸治氏という稀代の名コンビのバランスの取れた臨床感覚の成せる技と直感する。
それは,本書の冒頭を飾る青木論文(「成人期の発達障害について考える」)と,最後を締める村上論文(「私の精神療法的アプローチー広汎性発達障害への精神療法」)をまず読んでいただくことで誤りでないことが分かっていただけるだろう。編者である2人は,ともにこの臨床に登場してきた難問に対し,難しければ難しいだけのやりがいと対策が必ずあることを述べ,ぶれることない臨床家としての姿勢を貫き示す。
タイトルだけで本書を購入すると「成人期の広汎性発達障害」を網羅したものかと思われるだろう。しかし,冒頭から「理解としては発達障害を広くとり,診断としては発達障害を狭くとる」(青木)と述べ,「『広汎性発達障害への精神療法』という課題を突きつけられることで,精神療法がさらに発展していくことを願いたい」(村上)と記される。それぞれの筆者に同意反発したりしながらあれこれ頭を忙しく働かせながら読み終えた評者は,この始まりと終わりによって,精神医学の確固とした普遍性にたどり着いた。その意味で,あまたある類書のなかで,もっとも優れたものであると確信する。
編者に挟まれてなお,輝きを放つ滝川論文(「成人期の広汎性発達障害とは何か」)では,縦断的に発達軸を視野にいれた新たな診断分類とそれを支える臨床眼を鍛えることが強調される。宇野・内山による診断に関する論文では,診断の意義を前にスケープゴート的な診断行為にならぬよう強く諫める。さらに自らを発達障害でないかと疑い受診される成人の方々の現状と危惧について,太田・湯川・加藤論文は日々の実践をもとにその苦労のあとを述べる。ここには昨今の発達障害ブームとも呼べる流れに,冷静に丁寧な精神科臨床を行うべきという当たり前の提案がなされているわけであるが,これほど強調する必要があること自体,この分野における現今の課題であることに気がつく。一方で,それが間違いなく存在するのだという実証を,加藤氏は生物学的研究から論じ,中根氏は長期の経過と予後を示し,綾屋氏とニキ氏という代表的当事者からの言葉で第一部の総論が閉じられる。
続く第二部では,広汎性発達障害に関連する障害として,統合失調症,うつ病,双極性障害,摂食障害,強迫性障害,解離性障害・転換性障害,パーソナリティ障碍が述べられる。タイムスリップ現象とフラッシュバックや解離,緊張病とカタトニアなど,まだ解決されえない症候から改めてこの分野が抱える課題に手がつけきれていないことも明らかとなった。
第三部には大学生を対象とした援助,デイケア論,当事者支援,グループ療法,薬物療法など,手探りながらも構築していこうとする支援論が列挙される。なかでも三好氏の臨床から作り出された手作りの精神病理学を基盤にした治療学は興味深いものである。最後に宮川氏,井原氏,と前述した村上氏の個人精神療法が個々に述べられている。この流れで自家薬籠を開示するのは,非常に勇気がいったと思われ,それぞれに敬意を表したい。
この臨床像が21世紀における精神医学の解体と収束を担っているといっても過言ではないだろう。同時にわれわれが今こそ行うべきことは,腰を据えた臨床である,そんな当たり前なことに気づかせてくれる本である。それだけに,現代精神医学のなかでも必読の一冊としたい。

専門医のための精神科臨床リュミエール 16 脳科学エッセンシャル

専門医のための精神科臨床リュミエール 16 脳科学エッセンシャル published on

集積された脳科学の膨大な知見がまとめられており初学者にも分かりやすい

臨床精神医学 第39巻11号(2010年11月号) 書評より

評者:武田雅俊(大阪大学大学院医学研究科神経機能医学講座精神医学分野)

本年1月初頭のNATURE誌は”A Decade for Psychiaric Disorders”をエディトリアルに掲げて,2010年からの十年間は「精神疾患の解明」が最も重要な課題であることを提唱した。ポストゲノム時代のライフサイエンス全体にとって,精神疾患・行動異常の解明が最重要課題であることをうたったものである。このような時期に,脳科学エッセンシャル―精神疾患の生物学的理解のためにが刊行されたことは,まことに喜ばしい。

集積された脳科学の知見は膨大であり,細かく記載すれば何千ページもの著作になるところを,各項目について2~5ページの範囲でそのエッセンシャルな部分のみについてよくまとめられていることにまず感心した。できるだけ図表を多くして,初学者にも分かりやすいことを目標にして記述された各項目はいずれもよくまとめられている。もちろんテーマによりある程度の難易度のバラつきはあるが,これは限られた紙面でという制約上やむを得ないことではある。

章建ては,五部に分けられている。第I部「中枢神経系の構造と機能」は,精神疾患の理解の基礎として,押さえておきたい中枢神経系の解剖学がその生理的機能を中心にまとめられている。この部分は正直にいってかなり高級な内容も多いので,読者は必ずしも第I部の全部を読了する必要はない。第2部「分子生物学」は,ゲノム,細胞,情報伝達系とに分けて記載されているが,これだけ膨大な内容を系統的にカバーするためには,どうしても一定のページ数が必要となることはいうまでもない。少ない紙面でカバーするためには,ある程度トピックスを拾い上げたという内容にならざるを得ないことはやむを得ない事情であろう。しかしながら,編集者の見識により,精神医学者にとって最も必要なトピックスが選択されているのには感心した。第三部「精神薬理学」においても,今話題となっている精神機能とカルシウムシグナル,イノシトールリン酸系,ニューロステロイド,オレキシン,カンナビノイドなどがとりあげられており,多くの読者にとって勉強になる内容が要領よく記述されている。第四部「神経生理学と脳画像研究」は,もっとページ数があってもよかったのかもしれない。臨床家にとって一番なじみの深い脳波,MRIなどの臨床に即した知見は,取り上げ始めると限りがないが,臨床と脳科学とのブリッジングには欠かせない情報であることも間違いない。第五部「神経心理学と認知科学」は非常に意欲的な内容が並んでいる。それぞれの専門家が脳科学を手段として行動異常・精神症状・精神疾患の神経基盤をどのように考えながら解明しようと研究を重ねてきたかという内容に加えて,今後の精神医学の進むべき方向性についても議論されており,読み応えのある内容が満載されている。

精神疾患の生物学的研究の推進が叫ばれている。今や基礎領域の研究者がこぞって精神疾患を対象とした研究に関与するようになった。本書は,精神科医師を対象として,基礎医学の研究者がなにを明らかにしたかを伝えようとして編まれたものである。その意味では,本書はこれまでの類書とは異なり大きな成功を収めており,精神科医師にとっては役に立つ書物である。さらに編集者の意図を勝手に忖度していえば,本書でまとめられた基礎的な脳科学の知見を基盤にして,臨床家が次にどのような課題を提供できるかを問いかけているのであろう。上記の問いかけに対して,勝手に書評者なりの解答を試みれば,以下のような答えになるのだろう。おそらく精神科医に要求されていることは,これまでの精神医学の歴史が積み上げてきた膨大な臨床的知見を,脳科学者が検討できるような形で提供することであろう。精神科医には臨床の場から適切に整理された研究課題の提案が求められているのであろう。

精神疾患を対象とした研究に取り組む際には,これまで基礎医学を区分していた,解剖学・生理学・生化学・遺伝学・薬理学などといった学問体系の区分は必要ではない。精神症状あるいは動物の行動異常をどのようなパラメータで表記して,どのような神経回路の異常,細胞の異常,蛋白の異常,遺伝子の異常に落とし込むかは,その課題により大きく異なることが考えられる。本書を読んだ精神科医師には,これからの基礎研究の方向性を正しく導くような知見を提出できるようになってほしいものである。そのようなリサーチマインドを持った精神科医師にとっても,本書は大きな意味を持っている。


読めば収穫多き「旅」ができる 内容豊富な精神医学テキスト

精神医学 52巻12号(2010年12月号) 書評より

評者:倉知正佳(富山大学本部)

本書の序文にも書かれているように,近年の脳科学は長足の進歩を示し,主要な精神疾患の生物学的背景についての解明が進んでいる。精神科専門医は,これらの脳科学の進歩について継続的に理解していくことが必要である。そのためには,適切なテキストがあることが望まれる。このようなニーズに応えるために編集されたのが本書である。

本書は,I. 中枢神経系の構造と機能,II. 分子生物学,III. 精神薬理学,IV. 神経生理学と脳画像研究,V. 神経心理学と認知科学の5領域で,合計92項目から構成されている。各項目について,基本から先端的なことまで,臨床とのつながりを含めて第一線の研究者によりわかりやすく解説されている。各項目は見開き2~4頁で,図表も多い。

その項目の一部を紹介すると,たとえば,近年,精神医学で話題になっているエピジェネティクスについては,「エピジェネティクスとうつ病」(pp152~154)を開くとよい。すると,DNA塩基配列の変化を伴わなくても,ヒストンのアセチル化やDNAのメチル化によってクロマチンの立体構造が変化し,遺伝子発現が促進されたり抑制されたりすること,抗うつ薬や電気けいれん療法は,ヒストンのアセチル化を介してBDNF(脳由来神経栄養因子)の発現を亢進させる可能性が示唆されている。

本書の読み方としては,関連した項目を読み進むという方法もある。たとえば,情動の脳科学については,まず「島皮質と感情」(pp12~14)を開くと,島の解剖と機能仮説,不安症状時に島皮質が賦活されること,島皮質体積の減少は統合失調症の発症前後で進行することが述べられている。次いで「帯状皮質と情動」(pp105~106)へ進むと,前部帯状皮質は,扁桃体に抑制的に働き,その破綻によりPTSD(心的外傷後ストレス障害)における恐怖反応が説明されること,「扁桃体と恐怖の学習」(pp36~38)では,前頭葉による扁桃体機能の調整,そして,SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の抗不安作用の脳内作用部位が情動中枢としての扁桃体である可能性が説明されている。
「表情認知の神経回路」(pp39~42)では,表情,視線方向の認知における扁桃体の役割と,各種精神障害の表情認知障害の特徴が説明され,「社会脳」(pp288~290)では,統合失調症と気分障害における社会認知の障害が詳しく述べられ,「ミラーニューロンと共感」(pp291~292)では,ミラーニューロンシステム(Broca野後部,上側頭構,下頭頭構)と心の理論や共感との関連が説明されている。「オキシトシンと自閉症」(pp201~202)では,自閉症児のオキシトシン血漿濃度が対照と比較して約半分と有意に低く,モデル動物では,オキシトシンの補充により社会的認知が改善することが述べられている。

以上の例はごく一部であり,このようにして読者は,生物学的精神医学において収穫の多い「旅」をすることができる。本書は,精神疾患の脳科学について,国際的にも珍しいほど内容豊富なテキストであり,精神科医をはじめ,精神医学を学ぶ方々の座右の書として強くお奨めしたい。

精神医学エッセンシャル・コーパス 1 精神医学を学ぶ

精神医学エッセンシャル・コーパス 1 精神医学を学ぶ published on

臨床に習熟し始めた若手が足場がために読むのにも,ベテランがもういちど足場を確認するのにもお勧め

臨床精神医学 Vol.42 No.9(2013年9月号) 書評より

書評者:小林聡幸先生(自治医科大学精神医学教室)

そういえば『よりぬきサザエさん』というのがあったが,本書は全25巻56冊と別巻に及ぶ『現代精神医学大系』から,より抜いて3巻にまとめた『精神医学エッセンシャル・コーパス』の第1巻である。『大系』が出版されたのは1970年代後半から80年代初頭であり,今回『コーパス』により抜かれたのは30年以上経過しても古びていない珠玉の論文である。とりわけ本巻『精神医学を学ぶ』では精神医学の基礎・基盤を扱った論考か集められている。
本巻の各論文のテーマを列挙するなら,患者をわかるということ,心身相関,Eyの意識論,人間学的現象学,生活史,面接法,社会精神医学である。いささか雑然としているようにも見えるが,個々の疾病論の前に患者を診ることの原理的な問題を扱ったものばかりである。とりわけ冒頭の安永の「精神医学の方法論」はかなりの分量で,症状や診断について語る前に,他人である患者の精神内界に起こっていることを医者がとらえることがいかにして可能なのかを論じている。この論考を著者白身は「われわれの足場の反省と整理」と述べているが,それは本書の他の論文についても該当することである。本書では編者が各論文に「解説」を加えているのも興味深く,内海 健は安永の「了解は説明をそのうちに含む。その逆はない」というテーゼが,Jaspersの呪縛を完膚なきまでに解きほどいたと称揚しているが,それは人間学的な「了解」が臨床の認識を遍く覆っているとも言い換えられるだろう。
そこで,本巻の3分の1以上の紙幅を占め,ほとんど1冊本の分量を有しているのが,宮本忠雄・関 忠盛「人間学的現象学」である。その前史から説き起こし,Binswangerを結節点としてその理論的歩みを追いながら,人間学的現象学を形付け,そのあと,各論として,時間と空間,妄想論,幻覚論,雰囲気論,身体論を扱い,治療にも言及したうえで,今後の課題をあげるという堂々たる構成である。こうした人間学的な記述がない限り,われわれの臨床は「認知障害」といった言葉ばかりになって,語彙不足に陥るのではないかという意を強くした。本巻の各論文は,安永論文がその個人著作集に収録されているくらいで,あとは図書館にでも出向いて『大系』を紐解かなければ読むことはできないので,こうしてまとめられ再刊されたことは意義がある。
あとは短めの論文である。西丸四方・大原 貢「心身相関―その思想と系譜」を読むと,bio-psycho-social modelなどといってわかった気になっているが,精神と身体の関係の問題は,いまだにフロンティアであることに気づかされる。大橋博司「ネオ・ジャクソニズム―Ey, H. の意識論を中心に」はEyの理論の要を得た解説で大変重宝。西園昌久「生活史」は主として精神分析の立場から,病因論としての生活史をみたもの,保崎秀夫「面接の進め方」は精神科の診察の肝である面接の入門,いずれも精神科臨床の人間学的な側面に注目したものということもできるだろう。
いささか毛色が違うのが,佐藤壱三「社会精神医学の位置づけ」で,これは発表時点(1981年)までのわが国の主として地域精神医学としての社会精神医学の歴史を述べたものである。この年に社会精神医学会が設立され,さらにそこから多文化間精神医学会が分派し,その後,社会精神医学会の編集で教科書『社会精神医学』(2009)も発行されていることからすると,学会前史の記録ということになろう。
ハウツー本では得られない「われわれの足場の反省と整理」である本書は,臨床に習熟し始めた若手が足場がために読むのにも,ベテランがもういちど足場を確認するのにもお勧めである。評者はというと,「およそ科学は,その目標とするものが実際に存在することがわかっていて仕事するのではない」という安永の言葉に勇気づけられた。

DSM-5を読み解く 双極性障害および関連障害群,抑うつ障害群,睡眠-覚醒障害群

DSM-5を読み解く 双極性障害および関連障害群,抑うつ障害群,睡眠-覚醒障害群 published on

sourcebookに代わるものとして十分その役目を果たしている

臨床精神医学 Vol.44 No.8(2015年8月号) 書評より

書評者:上島国利(国際医療福祉大学)

本書は「DSM-5を読み解く」シリーズの第3巻であり,I双極性障害および関連障害群,II抑うつ障害群,III睡眠一覚醒障害群の3部により構成されている。
本書の目的は,さまざまな批判をあびながら世界の精神医学界を席巻しているDSM診断体系の成り立ちを伝統的な精神医学の歴史を俯瞰しつつ解説し,それらがDSM-5の成立や今後のよりよい応用に寄与することである。 DSM-IVについては,「The DSM IV Sourcebook」に,改訂作業でどのような論文が参照され,いかなる議論がなされたか記載されているが,DSM-5については,そのような書籍は今のところ発刊されていない。この状況下にあっては,本書は,sourcebookに代わるものとして十分その役目を果たしていると思われる。
まず注目されるのは,従来DSM-III以降われわれが慣れ親しんだ感情障害,気分障害の呼称がなくなり,それらに包括されていた単極性うつ病,双極性障害が分離されて別個に章立てされたという点である。クレペリンにより体系化された躁うつ病が,レオンハルトにより単極性障害と双極性障害に分離されたが,これらはあくまで気分障害の枠内の分離であった。ところがDSM-5では,「双極性障害および関連障害群」は,「統合失調症スペクトラム障害および他の精神病性障害群」と「抑うつ障害群」の章との間に位置づけられて2つの群の間の橋渡しをする位置にあるとされた。症候論,家族歴,遺伝的観点などが考慮された結果であろうが,DSM-IIへの回帰との指摘もあり,今後この章立ての妥当性についての議論がなされるものと思われる。

I双極性障害および関連障害群
双極性障害概念の拡大に伴う過小診断から過剰診断が危惧されたのが,ここ数年の傾向であったが,DSM-5では,小児期に重篤な気分調整障害を呈する障害が「重篤気分調節症」として抑うつ障害群に加えられた。また双極性エピソードの罹病回数の短縮もなされなかったことは過剰診断抑制策の1つとして考えられる。
また臨床では診断基準どおりの症例は極めて稀であった混合性エピソードは廃止され,「混合性の特徴を件う」という特定用語を用いることになっている。特定用語の活用は病状のより精緻な特徴を明らかにするためにDSM-5の随所で用いられるべきと思われる。

II抑うつ障害群
新たに加わった障害は,重篤気分調節症,持続性抑うつ障害(気分変調症),月経前不快気分障害でありそれぞれ歴史と導入の理由が記載されている。
DSM-IVの抑うつエピソードの診断基準から死別反応除外基準が削除され,死別後でも2週間の持続で診断可能となった。この除外基準の削除に関しては多くの批判があり,今後も論争が続くことも予想される。

III睡眠―覚醒障害群
ナルコレプシーの診断基準で髄液中オレキシン値,終夜睡眠ポリグラフ検査所見,MSLTの客観的検査データが基準の1つとなっているが,他の障害に先がけて生物学的マーカーが採用されたことは画期的なことであり,他の障害も次第に生物学的基準が明らかになっていくことと思われる。

以上DSM-5を読み解くという観点からの論点のいくつかについて紹介した。
DSM-IVまでのDSM体系分類は症状の羅列やその組み合わせから一定数以上の項目を満たす症候群を分離した操作的診断基準であり,病態に迫る生物学的知見がほとんど含まれていないという批判を受け続けてきた。そのような課題を克服するべくDSM-5は集積された臨床論文に基づいて,症候論から病因・病態論を取り入れようとする試みは常になされているが,現在の精神障害の生物学的研究はその域には達しておらず,一部を除いては成功していない。
将来的には,進歩の著しい脳機能画像,脳生理学,認知機能,遺伝要因などの生物学的知見が,症候学的知見と合わせることにより,より洗練されたDSMになりうるものと思われる。
総編集の神庭亜信教授の意図した「伝統的な精神医学が精神疾患をどのように概念化してきたか,DSMやICDの診断体系にどのような影響を与えたのか,DSM-5では何が変わり,何が変わらなかったのか,それはどうしてなのか」等々の課題に関して各筆者が現時点での到達点を記述しており比較的短い期間に読み込み,考察した結果に敬意を表したい。わが国の臨床でのDSM-5の使用経験の積み重ねが更なる発展に結びつくことを期待したい。
なおその使用に関しては,DSMの持つ功罪を吟味し,可能性やその限界については常に念頭に置く謙虚で慎重な態度が望まれる。
DSM-5の活用者が十分な精神病理学を身につけ,患者の呈する症状を懇切丁寧に分析し,適切な診断治療に結びつける素養を涵養することが何より重要といえよう。