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精神医学エッセンシャル・コーパス 3 精神医学を拡げる

精神医学エッセンシャル・コーパス 3 精神医学を拡げる published on

どれもが現在読んでもなお新鮮で,書かれた当時のこれは絶対伝えたいという著者たちの濃厚な想いが漂ってくる

精神医学 Vol.55 No.9(2013年9月号) 書評より

書評者:江口重幸(東京武蔵野病院)

精神医学関連の施設や図書館ならば,今でも,真紅の堅牢な表紙で装丁された『現代精神医学大系』(全25巻56冊)が書棚に並ぶ一画があるだろう。この『大系』は,規模といい内容といい,日本の精神医学にとって空前絶後の企画であり,同時代このシリーズのお世話にならなかった精神科医はいなかったと思われる。そこに収められた全650編の論文の中から,25編をセレクトして3巻(『精神医学を学ぶ』『―知る』『―拡げる』)に編集したものが,この『精神医学エッセンシャル・コーパス』である。
『現代精神医学大系』は1975~1981年にかけて順次刊行されており,その最終巻が出てからすでに30余年が経つことを改めて知ると感慨深い。評者は1977年に医学部を卒業したが,ここに所収された論文は,駆け出しの精神科医の時に,コピーに何色かの色鉛筆で線を引いて,書き込みをし,すべて吸収しようと試みたものであり,それらは書斎の隅でまだ眠っているであろう。
なかでもこの第3巻の『精神医学を拡げる』は,次第に文化精神医学や精神医学史に開眼していった評者にとって忘れることのできない論文で溢れている。吉野雅博による感応性・祈?性精神病論,小林靖彦による日本の精神医学史,そして荻野恒一による文化精神医学の絶好の入門編が収められており,これに,関西で臨床をはじめた者にはなじみが深く懐かしい,鳩谷 龍と藤縄 昭による2つの非定型精神病論があり,心因反応,拘禁反応,離人症を論じた諏訪 望,福島 章,木村 敏の論文が並ぶ。さらに仲宗根玄吉による責任能力論と神田橋條治による境界例治療論も加えられている。いずれもその領域の不動の第一人者による,各人「てだれ」のテーマ10編のセレクションである。その論考一つひとつに,本コーパスの編者である松下正明,井上新平,内海 健,加藤 敏,鈴木國文,樋口輝彦が短い解説文を付けて,新たな息吹を吹き込んでいる。
今から振り返ると,1980年にDSM-IIIが登場するまでの1970年代は,世界的に見ても,精神医学の人間科学化が加速した例外的な時期であった。これは日本における精神療法や精神病理学のピークの時でもあった。当時は精神医学的知の生産はおもにヨーロッパでなされ,その後の米国製のDSMのようにその枠組みが定期的にバージョンアップされ,その分割によって診断自身が変容するなどということはまったく考えもつかなかった。診断基準や臨床的枠組みは,精神医学的な「真理」に向かって収斂していくものであった。もちろんそれには一長一短あって,往時を懐かしんですべて昔がよかったと言いたいわけではない。しかし,こうしたかつての枠組みを離れてから,臨床に何がもたらされたのか? 臨床場面で精神科医の力は上がることになったのだろうか? それについては真剣に問い直してもよいと思う。
『精神医学エッセンシャル・コーパス』全3巻,特にこの『精神医学を拡げる』に収められた論考は,まさに日本の精神医学の最高の時期,ワインでいえば当たり年に,奇跡のようにこの世に贈り出されたものといえる。本書は,30数年寝かせて熟成したものが,新しい革袋に入れられて届けられたものと考えてもいい。どれか心にとまる一編を読んでほしい。そのどれもが現在読んでもなお新鮮で,書かれた当時のこれは絶対伝えたいという著者たちの濃厚な想いが漂ってくるにちがいない。

精神医学エッセンシャル・コーパス 1 精神医学を学ぶ

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臨床に習熟し始めた若手が足場がために読むのにも,ベテランがもういちど足場を確認するのにもお勧め

臨床精神医学 Vol.42 No.9(2013年9月号) 書評より

書評者:小林聡幸先生(自治医科大学精神医学教室)

そういえば『よりぬきサザエさん』というのがあったが,本書は全25巻56冊と別巻に及ぶ『現代精神医学大系』から,より抜いて3巻にまとめた『精神医学エッセンシャル・コーパス』の第1巻である。『大系』が出版されたのは1970年代後半から80年代初頭であり,今回『コーパス』により抜かれたのは30年以上経過しても古びていない珠玉の論文である。とりわけ本巻『精神医学を学ぶ』では精神医学の基礎・基盤を扱った論考か集められている。
本巻の各論文のテーマを列挙するなら,患者をわかるということ,心身相関,Eyの意識論,人間学的現象学,生活史,面接法,社会精神医学である。いささか雑然としているようにも見えるが,個々の疾病論の前に患者を診ることの原理的な問題を扱ったものばかりである。とりわけ冒頭の安永の「精神医学の方法論」はかなりの分量で,症状や診断について語る前に,他人である患者の精神内界に起こっていることを医者がとらえることがいかにして可能なのかを論じている。この論考を著者白身は「われわれの足場の反省と整理」と述べているが,それは本書の他の論文についても該当することである。本書では編者が各論文に「解説」を加えているのも興味深く,内海 健は安永の「了解は説明をそのうちに含む。その逆はない」というテーゼが,Jaspersの呪縛を完膚なきまでに解きほどいたと称揚しているが,それは人間学的な「了解」が臨床の認識を遍く覆っているとも言い換えられるだろう。
そこで,本巻の3分の1以上の紙幅を占め,ほとんど1冊本の分量を有しているのが,宮本忠雄・関 忠盛「人間学的現象学」である。その前史から説き起こし,Binswangerを結節点としてその理論的歩みを追いながら,人間学的現象学を形付け,そのあと,各論として,時間と空間,妄想論,幻覚論,雰囲気論,身体論を扱い,治療にも言及したうえで,今後の課題をあげるという堂々たる構成である。こうした人間学的な記述がない限り,われわれの臨床は「認知障害」といった言葉ばかりになって,語彙不足に陥るのではないかという意を強くした。本巻の各論文は,安永論文がその個人著作集に収録されているくらいで,あとは図書館にでも出向いて『大系』を紐解かなければ読むことはできないので,こうしてまとめられ再刊されたことは意義がある。
あとは短めの論文である。西丸四方・大原 貢「心身相関―その思想と系譜」を読むと,bio-psycho-social modelなどといってわかった気になっているが,精神と身体の関係の問題は,いまだにフロンティアであることに気づかされる。大橋博司「ネオ・ジャクソニズム―Ey, H. の意識論を中心に」はEyの理論の要を得た解説で大変重宝。西園昌久「生活史」は主として精神分析の立場から,病因論としての生活史をみたもの,保崎秀夫「面接の進め方」は精神科の診察の肝である面接の入門,いずれも精神科臨床の人間学的な側面に注目したものということもできるだろう。
いささか毛色が違うのが,佐藤壱三「社会精神医学の位置づけ」で,これは発表時点(1981年)までのわが国の主として地域精神医学としての社会精神医学の歴史を述べたものである。この年に社会精神医学会が設立され,さらにそこから多文化間精神医学会が分派し,その後,社会精神医学会の編集で教科書『社会精神医学』(2009)も発行されていることからすると,学会前史の記録ということになろう。
ハウツー本では得られない「われわれの足場の反省と整理」である本書は,臨床に習熟し始めた若手が足場がために読むのにも,ベテランがもういちど足場を確認するのにもお勧めである。評者はというと,「およそ科学は,その目標とするものが実際に存在することがわかっていて仕事するのではない」という安永の言葉に勇気づけられた。