評者:内藤 泰(神戸市立医療センター中央市民病院 耳鼻咽喉科・総合聴覚センター長)
メニエール病は代表的なめまい疾患であるが、原因は不明とされ、その治療は基本的に対症療法にとどまっている。本書の著者である高橋正紘先生(元山口大学、東海大学教授、元日本めまい平衡医学会理事長)は大学教授を退職された後、自身のめまいクリニックを開設、膨大な数の臨床例の長期観察と治療経験から、メニエール病の本質をストレス病と位置づけ、その治療法として日常的な有酸素運動の有効性を示された。本書では、メニエール病の本質をストレス病とするに至った背景、その根拠となる臨床データ、有酸素運動の効果、ストレスがメニエール病発症につながるメカニズムに関する論考がまとめられているが、いわゆる学術書ではなく一般向けの科学書の体裁になっており、著者のメニエール病に対する思いや考えがストレートに述べられている。
メニエール病の診療経験のある医師であれば、その患者プロフィールとして細部まで間違えないように仕事に取り組む緻密さや、時に自身の体調を犠牲にしてでも物事をやり遂げる完璧への志向など、特有の性格的傾向を感じることが多いであろう。最新の「メニエール病・遅発性内リンパ水腫診療ガイドライン 2020年版」(日本めまい平衡医学会、金原出版、2020年)においても疫学の項でメニエール病患者の几帳面な性格的特徴が述べられ、生活指導としてライフスタイルの改善や有酸素運動の効果について言及されているが、その分量はガイドライン本文の1%にも満たない。米国耳鼻咽喉科学会のメニエール病診療ガイドライン(Clinical Practice Guideline: Ménière’s Disease, American Academy of Otolaryngology-Head and Neck Surgery, 2020年)の中でも、「歴史的に見ると食餌の塩分やカフェイン、アルコールの制限、ストレスの軽減が長らく提唱されてきたが、ランダム化対照臨床試験が乏しく、これらの予防策に関する真のコンセンサス合意はない」とされ、「ストレス」は片隅に追いやられている。このような現在の潮流に鑑みると、本書はユニークで、いわば「孤高の書」と言える。
評者は、以前勤務していた大学病院で難治性メニエール病のめまい発作制御に内リンパ嚢開放術や前庭神経切断術などの外科的治療を積極的に行っていたが、市中病院に着任してメニエール病の発症を防ぐことに力点を移し、その病因としての患者の日常的ストレスについて詳しく尋ね、運動習慣をもつように勧め、著効例も経験するようになった。評者の編著書「めまいを見分ける・治療する」(ENT臨床フロンティア、中山書店、2012年)でも高橋先生にメニエール病患者のライフスタイル改善と有酸素運動治療についてご執筆頂いている。このような経験から、本書で繰り返し引用されているWilliam Oslerの「患者がどんな病気に罹っているかよりも、患者がどんな人間かを観察することが重要」という言葉には評者も深くうなずくところである。
メニエール病診療においてめまい発作や難聴の悪化を制御改善する薬物療法や外科的治療は患者の病状に応じて必要な場面があり、個々の患者でストレス源が分かっていても解決できない状況もあり得るので、すべての患者でライフスタイルの改善と有酸素運動だけで問題が解決するとは言えないであろう。また、著者が論考しているストレスからメニエール病に至る病的機序の仮説についてはさらに科学的検証を要する点もあると思われる。しかし、本書で提言されている、「なぜ人がメニエール病になるのかを考える」という、疾患の原点に立ち戻る姿勢は重要であり、この点において本書は医療者だけでなく患者諸氏が読まれても役立つものと考える。
最後に、本書とシェークスピアの戯曲との関連について述べる。本書は20章からなるが、各章の冒頭にシェークスピアからの引用がある。まずこれを読み、その章の読了後、もう一度この台詞を読むことをお勧めする。シェークスピアからの引用の中に本文内容を詩的に凝縮したような、時に辛辣な含意が感じられ、味わい深い。そして、あらためて全ての章のタイトル部分を眺めると、おそらくシェークスピアで最も有名なハムレットの台詞「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」(河合祥一郎訳、2003年)が引用されていないことに気づく。この台詞には他にも「生か、死か、それが疑問だ」(福田恒存訳、1955年)など幾多の名訳があるが、メニエール病について考え方の転換を迫る本書には、ハムレットの内心を率直に表した1972年の小田島雄志訳がふさわしい気がするので、これを引用して本稿のまとめとしたい。「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」。本書の読者はどちらを選ぶであろうか。