麻酔 Vol.71 No.9(2022年9月号)「書評」より

評者:武田純三(慶應義塾大学名誉教授)

現在わが国で行われている全身麻酔は,1950年に開催された日米連合医学教育者協議会での,Dr. Meyer Sakladの麻酔科学の講演が出発点となっている。それまでドイツ医学を踏襲してきた日本では,痛みを取ることが麻酔と考えており,現在あたりまえとなっている“麻酔は全身管理である”との概念はなかった。したがって,Dr. Sakladの講演で初めて耳にした全身管理の概念や米国での麻酔科医の教育システムは,日本の外科医たちにとってはたいへんな驚きであった。第51回日本外科学会の前田和三郎会長は,“麻酔学の教育及び研究は緊急事である”と会長講演で述べている。これがきっかけとなって,1954年に日本麻酔学会(現:公益社団法人日本麻酔科学会)が設立され,全国の大学に麻酔学教室が設立されていった。

Dr. Sakladの講演から70年余が経過し,この間の麻酔科学の発展は目を見張るものがある。麻酔科学の進歩は,医療技術・医学の進歩,電子機器の発展,薬剤の開発により支えられてきた。どれかが飛び出すことで,ほかが牽引されて伸びることを繰り返してきた。麻酔科学の高度化と同時に,集中治療・救急医療,ペインクリニック・緩和医療,小児周産期麻酔,心臓血管麻酔などへの分化も進んできた。高度化と分化は麻酔領域の専門性を高めてきたが,同時に注意を払うべき事案の増加,リスクの増加を伴い,知っておくべき知識の厖大化を招いてきた。

また,進化し続ける医学は,常に麻酔科医に新知識を追いかけることを強いてきた。医師国家試験は一度取得すると更新はないが,医師としての質の担保のために,初期研修医制度,専門医認定,サブスペシャリティでの専門医資格取得など,医師国家試験の上に存在する資格・認可の仕組みが構築され,研修や評価・再評価が行われている。日本麻酔科学会は他学会に先がけて専門医制度を構築してきたことは,周知のところである。

高度化,分化の進行は自分の専門外となる領域を増やし続けてきた。すべての臓器は網目のように絡んで機能しており,自分の専門分野の知識さえあれば安全な麻酔を施行できるものではない。安全な麻酔のためには,すべての麻酔関連知識を習得している必要がある。さらに外科系技術の進歩への知識の習得も必須である。少なくとも麻酔科医に必要とされる常識的麻酔関連知識の習得が求められる。これは,領域と専門性について“どこまで知っているべきか”の命題を生んできた。

このたび「臨床麻酔学書」が出版された。本書が目指しているのは,“日々進化する麻酔科学の知識,技術を常に学び続けるために,すべての麻酔科医が一読すべき臨床麻酔科学の教科書”とある。本書は,現在のすべての麻酔科医に要求される領域とレベルがそろえられており,“どこまで知っているべきか”の命題に答えようとしている。すべての麻酔科医の座右の書となるべき一冊といえる。