胸部外科 Vol.72 No.2(2019年2月号)「書評」より

評者:上田裕一(奈良県立病院機構理事長)

大北裕先生と高梨秀一郎先生の巻頭の記述のとおり,まさに「ユニークで秀逸な心臓外科手術手技のテキストである」と断言できる.章立ても行き届いており,各章を担当された心臓外科医の方々の記述は細心で要点が網羅されており,経験年数を問わず多くの心臓外科医に本書を推薦したい.その根拠を以下に綴り,日常の手術や後進の指導に本書を活用していただけることを願う次第である.
筆者が1976年にはじめて購入したのはCooley先生のアトラス(今も手元にある)で,その後,ほとんどの手術アトラス,そしてKirklin/Barratt-Boyes両先生による圧巻のテキスト『Cardiac Surgery』(Saunders)は1986年の初版から2013年の最新版まですべて購入してきた.この経験から,この推薦文の冒頭の記述に加えて,本書の長田信洋先生による素晴らしいメディカル・イラストレーションには驚嘆したといっても過言ではない.所見や運針を主に,見事に描かれている.各執筆者の術中画像をもとに心臓外科医の長田先生の頭脳を介して描き出された挿画は,元写真とは何が違うのか? もちろん,21世紀の画像技術の進歩により,術中写真やビデオは超精細(ハイ・レゾリューション)画像となり,本書には綺麗な写真に加えて動画も閲覧できるようになっている.しかし高梨先生の「序」の記載のように,手術手技を伝達するにはその術式に限定した挿画は必要不可欠なのである.つまり,外科医の視点からの挿画でなければならない.心臓外科医ではないメディカル・イラストレータが忠実に術野を描いても,心臓外科医の視点に欠けるため,なんらかのアドバイスを要するのが常である[なお,唯一の例外であると筆者が思うのが,レオナルド・ダ・ヴィンチの心臓の解剖図譜(大動脈弁・僧帽弁の血流を想定した見事な線画)である].
付言すれば,読者(心臓外科医)が手術中に網膜に届いた刺激から脳でどう解釈したか,これに手術の成否がかかっているのである.その解釈が運動神経を介して手術操作として表現される.たとえば,外科医が術中に僧帽弁輪をどのように理解しているかを他人(指導者)が評価するには,手術所見を文字で正確に記述されても,術野でみえていた情報から弁輪を確実に立体的に把握したかは評価できないので,結局は図示してもらうよりほかにない.もちろん,僧帽弁輪は長田先生の挿画の二重線のようにはみえない.つまり,術中写真はリアルで素晴らしいが,外科医は手術の根幹となる解剖学的所見を描くことが必要であると強調したいのである.不要な術野の要素は削いで,手術後にはスケッチを記録し続けることである.なお,術者と助手がみた術中所見はそれぞれのヘッドカメラで撮影できるが,おそらく異なる術野像が脳で構築されているはずである.各外科医が長田先生のイラストレーションを参考に,術直後に記憶に新しい残像を描出すること,それらをもとに手術手技をお互いに確認して議論することをおすすめする.こうした確認と修練においても,本書はきわめて有用なお手本であり,情報源となるテキストである.
もう一点,各執筆者による要所を編集した動画も素晴らしい画質,画像である.運針にのみ集中せず,鑷子はどの箇所をどのように把持あるいは圧排しているかに注目していただきたい.なお,いうまでもなく術野の展開(exposure)がもっとも重要な要素であり,各術者は見事な術野を供覧されているが,この術野を展開するコツを文字で記載することはむずかしい.したがって,自施設での手術開始からすべての操作をつぶさに理解すること,さらに他施設での手術見学はたいへん貴重な経験となることを付記しておく.
最後に,本書を企画された高梨秀一郎先生と坂東興先生に敬意を表するとともに,長田信洋先生と各執筆者の先生方には賛辞を贈りたい.