“今の人が羨ましくなる”入門書

癌と化学療法 Vol.40 No.9(2013年9月号) BookReviewより

書評者:小寺泰弘(名古屋大学大学院医学系研究科消化器外科学)

私が臨床試験に初めて触れたのは、愛知県がんセンター消化器外科の若手スタッフ時代に参加させていただいたJapan Clinical Oncology Group(JCOG)の班会議でのことであった。JCOGではわが国の標準治療を改定すべく多くの臨床試験が計画され、実施されている。「班会議って何ですか? 何をするんですか?」「ん? 行けばわかる」というのが初めて班会議に出かける間際の私と当時の上司との会話であった。「でもいいや、首都圏のあこがれの先生方とお会いできるんだし」とばかりに、勇んで出かけたものである。
何の予備知識もなく班会議に出席した私は、さまざまな臨床試験が計画され、その内容が煮詰められる過程を、意見どころか質問すら発することができないままにただただ拝聴するのみであった。しかし、回を重ねるうちに「適格基準」、「症例数の設定」など、いくつかの専門用語や概念が頭に刻まれていった。さらに、班会議ではJCOGの臨床統計家の先生方によるレクチャーもたびたび企画され、そもそも“臨床統計家”という職業があるのだということに加え、幾ばくかの知識も追加され、次第に班会議での討議内容もおぼろげながら理解できるようになっていった。
数年後に大学から後輩が赴任してきた。彼を初めての班会議に連れて行く際には、行きの新幹線の中で「俺の時は、『ん? 行けばわかる』という説明しか受けなかったけど・・・」と前置きして、当時行われていた臨床試験のコンセプトと概要を大まかに説明することができるまでに“成長”していた。私は小6レベルの算数しか理解できない文系人間だが、その後輩は理数系の頭脳を持っていたので、瞬く間に私を追い抜き、班会議の中でも頭角をあらわしていった。しかし、私のオリエンテーションも少しはお役に立ったのではないかと自負している。
愛知県がんセンターとJCOGで7年半お世話になったのちに名古屋大学に異動した。異動当時、教室内での臨床試験や医療統計の理解は皆無に等しかった。私がゼロの状態から7年半かけて耳学問で身につけた知識は、学問の府であるべき大学の外科学教室においても、ひいては外科系諸学会における発表内容の多くを聴いても、まったく欠落していた。大学にいる大学院生の多くは一生実験をやって暮らすわけではなく、間もなく一般病院で若手を指導する立場になる人たちである。君たち、分子生物学なんか後でよいので、まずはこういうことを学ばないと・・・とばかりに、何度も研究室でレクチャーを行い、また、オブサーバー参加という辛い立場ではあったがJCOGの班会議に連れて行った。しかし、繰り返しになるが、私の知識は耳学問で得た“おぼろげ”なものに過ぎず、稀にもう少し勉強しようと思い立っても、手に入るのは「成書」とも呼ぶべき、いかめしい専門書ばかりであった。これらは現在でも新品同様の状態で書棚に並んでいる。
今回、佐藤弘樹先生、市川 度先生執筆による『臨床統計まるごと図解』の書評を頼まれた。忙しくて読んでいる暇ないし、といって読まずに書くのは気が引けるし・・・ということで、ある日曜日の午前中、自宅でやむなくちょっとページを繰ってみたところ、思わず引き込まれ、1時間で読破してしまった。読みやすい。しかも、今までの知識が“おぼろげ”であった分、曖昧であった点がひとつひとつクリアーになっていくのが心地よい。読後に最初に浮かんだ言葉は、「今更何よ」である。これまでも「今の人はいいなあ、昔はこんな物(や制度)なかったもんなあ」とどれだけつぶやいたかわからないが、この本もそうした嘆きの対象となる逸品である。それでは、まったく知識がない人が読んだ場合にどの程度わかりやすいのか、それは私には想像するしかないのだけど、何といっても工夫を凝らした図がわかりやすい。おそらく大丈夫であろう。今やすべての医師が治療に際してガイドラインを紐解き、エビデンスを意識せざるを得ないし、意欲があるなら、ALL JAPANの臨床試験に参加することにもなる時代である。さらに、必要に応じてガイドラインを逸脱することが求められる局面にもしばしば遭遇する。そのためにも臨床試験によるエビデンスの限界、すなわちガイドラインの限界を知ることも重要である。この本を読んでおけばいっそう自信をもって診療に臨めるであろう。
唯一不満なのは、目次の後のページにある市川度先生の似顔絵だ。何か予備校のベテラン講師のような風貌で、全然似ていない。本物の方がずっと「良い男」であることを強調して筆をおく。