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精神医学の知と技 沖縄の精神医療

精神医学の知と技 沖縄の精神医療 published on

沖縄の精神医療を論じながら,日本全体,そして世界の精神医療の動向もが明らかにされている

精神医学 Vol.58 No.3(2016年3月号) 書評より

書評者:西園昌久(心理社会的精神医学研究所)

沖縄は日本人の良心を問うている。それが本土復帰直前とその後の若干でも沖縄の精神医療を垣間見た評者の実感である。
著者は戦禍が残り,本土復帰後の社会変動の激しい中で誕生した琉球大学医学部の精神科初代教授として赴任し,沖縄の精神医療の改善向上に尽力し,退任後の今もそれを続けている人である。
内容は,第一章 沖縄県の概要から始まり,沖縄県の医療の歴史,沖縄の民族信仰とシャーマニズム,沖縄の精神医療の歴史と現状,沖縄における地域精神医療の歩み,沖縄における予防精神医療の歩みと続き,第七章 沖縄の精神医学・医療における国際交流で終わっている。さらに巻末に,沖縄県の精神医療に関する年表が記載され,読者の便宜が配慮されている。科学あるいは理念としての精神医学は万国共通であろうが,その実践としての精神医療はその国,あるいは地域の歴史,文化,習慣,法律,経済事情,住民の理解,さらには社会変動と深く関わるものである。本書では上記の章立ての内容にみられるようにそれらを的確に把握して記述されている。しかも,沖縄のみならず,必要に応じて日本全体,さらには外国の統計資料を駆使し理解を助けている。したがって,沖縄の精神医療を論じながら,日本全体,そして世界の精神医療の動向もが明らかにされている。
沖縄戦の犠牲者は,日米の軍関係者は別として,沖縄住民,十数万人といわれるから全住民の10%強に相当する。当時,外傷後ストレス障害の概念はなかったが,「この世が信じられない」という外傷体験を多くの住民が体験したことは想像できるところである。本書の中で,本土復帰前,「精神衛生実態調査」が行われ,その結果,精神障害有病率は本土の約2倍に相当するとされたことが明らかにされた。それは,沖縄戦によって住民が受けた心的トラウマと無関係でないであろう。精神医療の決定的不足を補う「派遣医制度」,復帰後の精神科病床ならびに精神科クリニックの急増が数字を挙げて明らかにされている。そのような精神医療の充実の進んだ時点で著者はその動向にある種の危惧を体験された模様である。
その後,著者は琉球大学精神科の診療ならびに研究活動として,予防精神医療を始められたことが明らかにされている。同教室の研究成果のみならず,国際交流,国内における予防精神医学の主導,その後の発展が記載されている。それは,著者が精神科医になって間もなく,派遣された精神科病院での原体験と深く関わっていることが読みとれる。本書は読みながら,精神科医としての自分の立ち位置を内省させられる内容を含んでいる。そして,沖縄戦で戦死された著者のご尊父への鎮魂の報告書でもあろうと思われた。

精神医学の知と技 精神科と私

精神医学の知と技 精神科と私 published on

日本の精神医学が歩んだ道を照らし出す

日本医療機器協会広報 No.206(2012年9-10月号) 医書の本棚より

精神科治療の黎明期はまだ手探りの治療が多かった。著者が語る過去の例には、統合失調症患者用の一般向けの電撃療法やインシュリン療法があり、前者はもちろんのこと後者はインシュリン投与で血糖値を下げて患者を昏睡に導き、そこから高張ブドウ糖を静注し、一気に覚醒させるという綱渡り的なものだった。それゆえ、ときどき覚醒がスムーズに行かなくてやきもきしたという著者の述懐がある。
本書は、精神科医として60年の経験を積む著者が、日本精神神経学会の学術総会時に「先達に聴く」というテーマに合わせ過去の仕事を語ったものである。「はじめに」にあるように昭和30~40年代、精神科は最も変化を遂げた診療科であり、その頃から本格的な薬物療法が日本で開始され、うつ病などは外来でも扱えるほど軽症化し、街にも精神科がクリニックとして進出し始め、今ではその数は全国で5,000を超えるまでになっている。
精神病の機序の説明で説得力のあるところは、分裂病の幻聴に言及して、これは病人が他者の話を聞くのではなく、“聞かされる、話しかけられる”という位相のもので、それゆえ、幻聴の多さに比べて、幻視という症状が少ない理由を不思議がるべきではないという。というのも、“聞かされる、話しかけられる”という症状に対応するのは、“他人から見られる、見透かされる”という症状を当てるべきで、それゆえ、そうしたものが幻視として症状化することは難しく、それが幻視の症状の少なさを語っている。ここに紹介されたのは、村上仁教授の学説だが、本書は他にも多くの精神科の泰斗、碩学の業績・学説を手短に紹介し、日本の精神医学が歩んできた道を照らし出しているかのようである。
ところで、著者が初めて著した本は、重症対人恐怖症に関する、『正視恐怖・体臭恐怖―主として精神分裂病との境界例について』(1972年刊)と題する学術書(藤縄昭・松本雅彦・関口英雄氏との共著)である。この本では、患者が対人恐怖で人と目を合わせられないという症状は、背後に自分の目から異様な力が発散されていて相手を傷つけてしまう、という特異な心理が働いているからだという。その根底には、「自我から何かが下界に向かって漏れ出していく」という妄想が潜み、それを著者達は、“自我漏洩症状”と命名した。これは統合失調症の患者特有のものではなく、境界例的な若い患者に見られる病態だという。
現在は薬物療法でかなりの症状が緩和される時代であり、妄想知覚などは、少量のリスペリドンの投与で消失し、幻聴は耳鳴り程度に軽減され、不安も喚起されなくなったという。問題は妄想知覚が消えても過去の妄想が間違いだったという病識に至らない患者が多くいることで、患者のなかには症状が改善された今では薬はいらないと拒否する者も出ている。それはともかく、現在、統合失調症は、向精神薬の著効に加えて疾患の軽症化が拍車をかけ、現在、患者の多くは入院後、2~3ヶ月で退院が可能にまでなっているという。
著者は、薬物によって精神症状が左右され、精神症状のあるものは、脳過程の変化によって直接説明できる段階にまで精神医学が達していると言いつつも、しかし、脳科学は精神とか心とかについて今のところ何も発見しておらず、人の人格と多少とも関係する脳の機能はあるのでしょうか、と疑問を投げかけている。
脳の働きというものと精神の動きというものは男女の間のような深い溝がある。しかし、そこにこそ精神過程を解析する精神病理学の存在意義があるのではなかろうか、本書からはそうした著者の呟きが聴こえてくる。
(S.C)

精神医学の知と技 吹き来る風に

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気骨にあふれた著者と出会える1冊

JAMHPNEWS 40号(2011年秋) 新刊紹介より

評者:松澤和正(千葉県立保健医療大学看護学科/日本精神保健福祉政策学会常任理事)

私は、先の本学会の学術大会特別講演で岡田先生のお話を初めてお聞きした。それは私にとって久しく経験したことない感慨を残すものだった。先生は精神科医としてのご自身の歩みと重ね合わせながら精神科医療の歩みを淡々と述べられていたのだが、その言葉と声に、独特の輪郭というか陰影のようなものを感じて惹きつけられた。そして時折、驚くほどラディカルな言葉(私にとっては)を、何ら違和感のないご自身にとっての「常識」というふうにして語られる。聞いている私としては一瞬たじろぐのだが、いつかは信じていたはずのものではないか、という気がしてきて、思わず気分が高揚している自分に気づくという経験であった。

その岡田先生による最新刊が今回の紹介の著書である。独特な語り口も問題意識ももちろん上記の講演と変わることはないが、著者のある種「孤高」ともいえる独自性の源泉がどのあたりにあり、それがどのように育てられていったのかが、本書を読むことによって厳しい現実との格闘や学究のなかで生み出されたものであることが理解できる。そして多くの場合、現実を生きやすいように自分を合せるなかで、あたりさわりのない「普通の人間」に変わっていくのが常であるが、本書を読んでいると、至る所でそんな常識に抵抗し続ける気骨にあふれた著者と向き合うことになる。

そういう著者と出会えるだけでも本書の価値はすでに十分であるが、浅学な私にとっては「目からうろこ」的な知識や歴史的エピソード等が満載であり、そうした意味でもたいへん感銘を受けた。たとえば、いまではおそらくどんな精神医学あるいは精神看護学関連の教科書にも載っている呉秀三の「此ノ邦ニ生レタルノ不幸」という一節が、実は筆者によって1960年代始めに再発見されたという事実である。私自身、「精神医療」の小史を看護学生に教える際、必ずこの言葉をかみしめることにしているが、それが実は半世紀ほども前に見出されたにすぎないという事実に正直驚きを覚えたしだいである。しかも、私は上記で「精神医療」という言葉をなにげなく用い、日常的にも法律的にもよく使われている言葉であるが、その言葉も著者らが刊行した本の題名に遡るものであることを知りこれにも驚かされた。(ただし、著者は、精神科以外の医療との同等性を考え、数年してこの言葉の使用をやめ、その後は「精神科医療」にしていると述べている)

それと私自身の現在の組織のなかでの若干の葛藤と引き比べて(といっても著者の時代とその激動の比ではないが)興味深かったのが、松沢病院時代の病院改革から始まり東京大学精神科でのいわゆる「赤れんが闘争」をくぐりぬけていく混沌と熱に満ちた時代記述の数々である。多くの様々な登場人物や組織などが入り混じって、まるで迷路のなかをさ迷っているかのような感覚にもなる。ただそのようななかでも著者の生き方はやはりかなり独特であり際だったもの感じさせずにはおかない。

たとえば松澤病院改革において、最初は「自由闊達で下剋上的傾向がつよい」医局会議で、著者は改革に向けて激しい発言をくりかえすが、やがて周囲の組織的な風向きが変わり、最後はほとんどひとりになってしまうも持論を取り下げず、ついには管理者からの攻撃をうけ辞職を宣言するまでになる。ただしこの間もたんなる体制批判に留まらず、男子不潔病棟と通称された病棟改革での地を這うような実践も積み重ねられている。その後の東大赤れんが時代も、「まさに多事、怒濤にもまれる」日々であり、様々な組織的・政治的活動に関わるものの、やがて「激しい運動のなかの無秩序」に耐え難くなり「このままでは医者ではなくなってしまう」との思いから、大学を去る決意をするのだが。その間、大学教員や病院長などの就職話が舞い込んでも断り、すでに学位も持たぬと決めており、大学を去って地域の診療所に勤務するということになる。

その後は、著者のまさにライフワークともいうべき精神科医療史への傾倒と集中の歩みが始まる。精神科医療史研究会を設立し、著者が「再発見した」呉秀三に関するものをはじめ、松沢病院史や精神衛生法改正等に関連した多彩且つ膨大な著作が生み出され、近年では、2002年に集大成ともいうべき「日本精神科医療史」を出されている。そして今回紹介の著書は、いわばこれまでの志に貫かれた業績や歩みを、著者自身のライフヒストリーとしてかなり独特な生の語りと共に編み上げたもの、というにふさわしいものである。それゆえ、本書に位置づけられた様々な論考や著作の行間には、いわば新たな連関と統合のなかで、著者自身の等身大で独特な思想性が滲むように表現され現れてくるのを感じさせる。

なかでもそれを強く印象づけるのが、本書の至る所に散見され、また第4章に詳しく言及されている著者の「言葉」あるいは「言語表現」に対するこだわり(というにはより本質的な部分)につらなる問題意識ではないだろうか。著者にとって、言語こそがまさにものの考え方や捉え方、つまり思想性をあらわにするものであり、その意味においても歴史のなかに言葉を位置づけ現実に向かうための道具として錬磨することの重要性が強く意識されているような気がする。そのことを、著者は、あとがきのなかでも端的に表現していて、「失礼します」と言って部屋(診察室)に入って来る日本人のあり方そのものが、すでに「日本に絶望する」ことに結びついてしまうのである。あるいは「可決成立」というふうに(自動詞と他動詞が)同居してしまう表現主体の曖昧さを指摘しつつ、結局そこに、この国の人間の個としての責任主体への無自覚を見出し嘆くというか絶望している。そして、こうした事態への自覚と覚醒だけがこの国を救いうるという、まさに歴史家として著者の矜持が主張され、私自身深く感銘しないではいられなかった。

私は、さらに、このあとがきのなかに、(この国は)「世界のなかの二流国、三流国としての地位に目ざめ、そのなかでよりつつましい生き方をもとめていくことをめざすべきだろう(一流の派手なあり方を目ざしていては、こころやむ人は置き去りにされるばかりである)」という非常に魅力的な一文を読み、ますます先生の「偏人」さの深さとある種の暖かさに心酔してしまったことを告白したい。


精神科医療の現代史

日本医史学雑誌 第57巻第4号(2011年) 書評より

評者:坂井建雄(順天堂大学 医学部 解剖学・生体構造科学)

本書の著者である岡田靖雄氏は,2002年に『日本精神科医療史』(医学書院)を上梓されている。長年にわたり蒐集してこられた精神医療史の膨大な資料をもとに,奈良時代から現代(1965年頃まで)の我が国の精神科医療の歴史を記述された浩瀚な著作である.

この岡田氏による近著『吹き来る風に―精神科の臨床・社会・歴史』は,いわばその続編のようなものである.精神科医療に携わり,東大精神科の赤レンガ闘争にも関わったまさに当事者による精神科医療の現代史である.しかしそれはもはや,精神科医療史の歴史を客観的に記述する歴史ではありえない.客観的に把握することのきわめて困難なこのような同時代史を描くために,著者の岡田氏は一見したところ奇妙にも見える道具立てを用意している.

本書の冒頭「第1章 たどってきた道」では,著者自身の個人史が語られている.しかも著者自身は「わたし」として語られることはなく,首尾一貫「かれ」として語られている.高等学校卒業までのこと,東京大学の駒場と本郷でのこと,医学部を卒業後に精神科に入局し,松沢病院で医療に携わり,東大精神科の赤レンガ闘争に巻き込まれ身を退いたこと,荒川の診療所での医療,精神科医療史と社会的活動のことなど,著者のたどってきた道が語られる.そして「かれ」のことを偏人であるという.行動特性や個性のさまざまな側面を客観的に記述する.貪欲さはなく贅沢はしない.つきあいは義理がたい.弁舌はさわやかではない.慎重である.今でも本,雑誌はよくよんでいる.そして「かれの感じ方・思いは同年代の大多数とはかなりちがっている.我がつよくて協調性にかけるということになりそうである.でも自分の行動は我にしたがっていくしかない.」

このように著者自身のことを規定した後,「第2章 臨床」では自身の精神科医療の経験やそのあり方についての認識が述べられる.岡田氏編の『精神医療―精神病はなおせる』(勁草書房,1964年)と岡田氏著の『精神科慢性病棟―松沢病院1958-1962』(岩崎学術出版社,1972年)の成立事情や内容が紹介される.外来診療での経験といくつかの症例が紹介される.著者である「かれ」の周辺の人たちが観察され,その行動が描かれているのが興味深い.そして岡田氏の論文「病院のなかで考えたこと――臨床精神医学の方法論によせて――」(精神神経学雑誌,第64巻,1962年)が再掲される.

「第3章 社会」では,ライシャワ大使刺傷事件につづく精神衛生法一部改正に対する反対運動,岡田氏著の『差別の論理――魔女裁判から保安処分へ』(勁草書房,1972年)の内容紹介,保安処分への反対と医療観察法への対応などが述べられ,岡田氏の論文「精神疾患患者への偏見をつくるもの――新聞記事の分析――』(社会医学研究,第13巻,1973年)と「ある一般病院精神科外来における朝鮮人」(日本社会精神医学会雑誌,第2巻,1993年)が再掲されている.

「第4章 歴史」では,岡田氏による戦争と精神科医療,病院史,団体史,呉秀三先生伝とその周辺,その他の仕事が紹介される.精神科用語への取り組み,歴史をまなぶことについての考察が述べられる.岡田氏の論文「ノートから 東京大学医学部卒業者名簿」(科学医学資料研究,第165号,1988年),「ノートから サムス『DDT革命』への疑問」(科学医学資料研究,第175号,1988年),「精神科における用語について」(精神神経学雑誌,第100巻,1988年)が再掲されている.

岡田氏の同時代史は,さらに現在も進行中である.『青人冗言』(青柿舎)と題する小冊子のシリーズを刊行中で,第1号『歴史をゆがめるもの――医学史研究の方法にふれて」』(1993年11月)から始まり,近刊の第7号『戦争のなかの精神障害者』(2011年6月)まで続いており,第10号まで目標にしているとのことである.

精神医学の知と技 技を育む

精神医学の知と技 技を育む published on
看護教育 2011年9月号 Vol.52 No.9 BOOKSより

精神療法の第一人者の半生記が1冊にまとまった。精神医学における知と技の寄与し合う関係をひも解き,自らがどのように技を育んできたのか,その工夫と心の軌跡をたどり,「多くの方々に負担と害を及ぼしてきました」(「おわりに」より)と,進歩ばかりでなく,弊害をも冷静に振り返る。精神科医としての「不安な船出」から,「離魂融合」という独自の面接法に至る道筋は圧巻

精神医学の知と技 精神症状の把握と理解

精神医学の知と技 精神症状の把握と理解 published on
『こころの科学』2009年5月号(No.145)「ほんとの対話」(書評欄)より

評者:神田橋條治

時を越えて読み継がれ導きの役をなす書籍を「古典」と呼ぶ。初版の時点ですでにその位置を約束される著作が稀にある。

待望久しい、原田憲一先生による「症候学」を手にした。嬉しい。症候学は精神医学という文化の始原であり基盤である。症候学がなければ精神医学はなく、症候学が揺らげば精神医学も不安定になる。昨今の様相の一因である。
症候学の作業は精神現象を「認識」して「記述」することであるが、両者は互いに影響しあうので、作業は錯綜する。言葉が参与するからである。あらかじめ輪郭定かに存在する事物を拾い集めて命名する作業ではなく、連続と流動とを本質とする現象界を、言葉で切り分けて取り出す作業だからである。

その作業は古人により営々と続けられてきている。それをまず押さえておかねばならない。文化の継承である。
そのうえで、現在の精神医学の暗黙の要請を読み取り、さらには、自身の体験との整合性に照らしながら、新たな認識と記述とを組み立てねばならない。当然そこには、未来への視点も必要である。

(中略)

原田先生は自身の作業を客体化して読者に提示してくださっている。おそらく、先生の誠実さの現れであり「真理への愛」の延長なのだろうが。この姿勢のせいで、「記述現象学」と自覚される先生の世界が「フッサール現象学」へも開かれている。さらに、先生の誠実さは語られる言葉の一つひとつに重みと背景とを含ませる、あるいは匂わせる。

本書は、中山書店の「精神医学の知と技」というシリーズの第一巻である。圧巻の嚆矢であり、続く人々の苦労が思いやられる。

(後略)