いわゆる辞典的な本ではなく,臨床医が興味深く通読できる
精神医学 Vol.55 No.4(2013年4月号) 書評より
評者:中嶋聡(なかまクリニック)
本書は,さいたま市立病院精神科部長・仙波純一氏による,精神科薬物療法の指南書である。
著者によれば,本書の題名・プリンシプルとは,臨床家の行動原理のことである。そして本書は,「若手の精神科医を対象として,この行動原理のあるべき姿を示してみたもの」である。あるべき姿とはどのようなものか。それは,単に薬物の選択や投与法に詳しいばかりでなく,それらの知識を精神科治療全体の中でどう生かすかを会得していることである。
著者は,薬物療法における代表的な態度として,薬理作用重視主義,EBM重視主義,素朴な経験主義の三つを挙げる。著者は,自身の立場はこの中で第一と第二の中間であると言うが,通読した印象からは,第一にはEBM重視主義者であるという印象を受けた。すなわち,RCT(無作為対照化試験)やメタアナリシスを重視し,それらを行動原理の中心におく。そして,わが国の精神科臨床のいわば「伝統」ともいえる,素朴な経験主義に対しては,厳しい批判の目を向ける。
著者は,薬理作用を重視しながらも,「薬理作用原理主義」に対しては批判的である。著者は次のように述べる。「あまりに作用機序にこだわりすぎると,いわゆる『コツ』や『裏ワザ』のような処方が増え,次第に漫然とした多剤併用や,独白の薬物療法に傾いていってしまうおそれもあります」。この,薬理作用原理主義は素朴な経験主義に通底しているという指摘は,評者にとっては,目から鱗が落ちるものであった。
各論でも,随所で警鐘を鳴らしている。たとえば,「『セロトニンの低下がうつ病の原因で,抗うつ薬はセロトニンを増やすことでうつ病を治す』というのは,一種の神話というべきものです。まったくの誤りではないにしても,薬理学的には単純すぎる解釈であり,専門家である精神科医が真に受けてはなりません」と述べる。また,SSRIの薬ごとの薬理学的な違いや,しばしば「SDA」や「MARTA」などの用語を使って説明される,非定型抗精神病薬同士の違いについても,それが「臨床的にどのような意味を持っているかは,現時点では明らかでない」とし,「製薬会社は差別化を図ってわずかな薬理学的特徴を強調しがちなことに留意」するよう読者に促している。
先に著者は素朴な経験主義に対して批判的だと述べたが,その姿勢は決して「原理主義的」ではない。臨床医がしばしば,薬理学やEBMの十分な裏付けなしに当座の決定を迫られることや,置かれた場や患者の事情によってはEBMだけでは単純に割り切れない場合があることも十分に認めている。こうしたところに,著者の,学問のみせかけに引きずられない強靭さと,豊かな臨床経験に裏打ちされた懐の深さを感じる。
各論では,抗うつ薬,気分安定薬,抗精神病薬,抗不安薬・睡眠薬のそれぞれについて,詳しい解説がなされている。また,薬物の変更・併用の考え方や仕方について,臨床の実際に沿った説明がなされている。妊娠・授乳中の薬物療法や,留意すべき副作用についても,簡潔で必要十分な解説が与えられている。さらに,本文と別に多くのコラムがあり,そこでは「臨床医が薬物動態に留意しない理由」,「双極性うつ病で抗うつ薬を処方すべきか」,「睡眠薬は頓服使用でもよいか」など,興味深い話題が取り上げられている。
いわゆる辞典的な本ではなく,臨床医が興味深く通読できる本である。しかも,常時手元に置いて,必要なときに必要な箇所を参照するような使い方もできる。若手の精神科医だけでなく,精神科の臨床に携わるすべての方にお勧めしたい。