幅広い臨床の「知と技を磨く」ための一冊
臨床精神医学 Vol.41 No.6(2012年6月号) 書評より
評者:広沢正孝(順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科)
近年、成人の精神科医療の現場で、高機能広汎性発達障害(高機能PDD)は空前の注目を浴びているといっても過言ではなかろう。今ではこの概念の普及は、教育現場や職場のメンタルヘルス場面にも及び、なかにはみずから自閉症やアスペルガー症候群ではないかと疑い、医療現場を訪れる人も出てきた。しかしPDDの概念の急速な発達は、われわれにさまざまな混乱をもたらしていることも確かである。とくにアスペルガー症候群をはじめとする成人の高機能PDDの診断、症状の評価、治療をめぐっては、種々の見解が飛び交い、試行錯誤の状態であるともいえるのが現実であろう。
残念なことに、わが国においては「成人の広汎性発達障害」をさまざまな視点からコンパクトにまとめた成書はほとんど存在しない。その意味で本書は、今日の精神科医療に携わる者が待ち望んでいた一冊ともいえよう。
本書は、『専門医のための精神科臨床リュミエール』の第Ⅲ期シリーズのなかの1冊である。本書が対象としているのは、すでに幼児期・学童期からPDDと診断され、療育や教育的配慮がなされている人たちではなく、成人になるまで気づかれずにいた人たちである。本書の狙いは、その人たちを一般精神科医がどう理解し、どう援助するかにある。
本書は、総論、従来の精神疾患との関連、さまざまな援助、という3部構成になっている。まず第I部の「総論」では、成人期のPDDに関する総説(特徴的な臨床像、発達心理学的理解、診断方法と診断の意味および診断の功罪をめぐる問題、近年臨床場面で遭遇しやすい「発達障害を疑って受診する」人々の臨床的実態と対応方法、生物学的な特徴と最新の知見および長期経過・長期予後)のほか、発達障害者自身による成人期の当障害に関する現象学的解釈(当事者研究)や対人関係・社会文化的見解が述べられていて読み応えがある。
第II部の「従来の精神疾患との関連」では、統合失調症、うつ病、双極性障害、摂食障害、強迫性障害、解離性障害・転換性障害、パーソナリティ障害といった、成人期のPDD者が罹患しやすい精神障害を取り上げ、各分野の日本の代表的な臨床家・研究者が、PDDとの関連を述べている。読者はここで、PDDと各精神障害との合併にまつわる疾病学的な問題、その際PDD者が呈する各障害の非定型像(PDDらしさ)と、各症状の現象学的、精神病理学的ないし人間学的解釈、各障害の経過の特徴や薬物療法をはじめとする治療方法の問題を、深く、かつ整理して学べると思う。さらに多くの項目で詳細な事例が提示されており、おそらく読者は、自身が「一度は出会ったことのある」患者の記述をたよりに、成人のPDD治療の「勘」を育むことができると思う。
第III部の「さまざまな援助」においては、精神科医にとって成人の高機能PDD者に遭遇しやすい場(大学キャンパス、デイケア、総合病院外来など)が設定さて(原文ママ)おり、各場面で観察される彼らの具体的な精神症状や行動特徴、それに対する対応方法(具体的なプログラム)、さらには告知にまつわる具体的な考え方が記載されている。また成人のPDD者に特化した支援方法として、当事者支援、グループ療法、特に当事者グループが取り上げられ、ここでも具体的な事例を通して、われわれが考慮すべき視点が示されている。最後に治療法として薬物療法と精神療法が挙げられ、いずれもベテラン臨床医の具体的な経験が披露されている。
このように本書は、現在の精神科臨床課題である成人のPDDを理解するにあたり、よき道案内者となる。特に専門医として活躍されている精神科医や、これから精神科専門医を目指そうとしている精神科医にとっては、幅広い臨床の「知と技を磨く」ための一冊にもなろう。
われわれが今こそ行うべきことは,腰を据えた臨床である,そんな当たり前なことに気づかせてくれる本
精神医学 Vol.54 No.5(2012年5月号) 書評より
評者:田中 康雄(こころとそだちのクリニック むすびめ / 北海道大学名誉教授)
本書は,『専門医のための精神科臨床リュミエール』第3期の1冊として上梓された。そもそもこのシリーズは,現代精神科臨床のなかで従来の教科書では看過されやすいテーマを最新かつ多面的な視点により掘り下げて論じることで,精神科医としての知と技に一層の磨きをかけることを目的としている。
結論を先取りすると,本書はこの目的を遙かに凌駕したと評者は断言する。
この成功は,ひとえに編者であり執筆陣の要としてご尽力された青木省三氏と村上伸治氏という稀代の名コンビのバランスの取れた臨床感覚の成せる技と直感する。
それは,本書の冒頭を飾る青木論文(「成人期の発達障害について考える」)と,最後を締める村上論文(「私の精神療法的アプローチー広汎性発達障害への精神療法」)をまず読んでいただくことで誤りでないことが分かっていただけるだろう。編者である2人は,ともにこの臨床に登場してきた難問に対し,難しければ難しいだけのやりがいと対策が必ずあることを述べ,ぶれることない臨床家としての姿勢を貫き示す。
タイトルだけで本書を購入すると「成人期の広汎性発達障害」を網羅したものかと思われるだろう。しかし,冒頭から「理解としては発達障害を広くとり,診断としては発達障害を狭くとる」(青木)と述べ,「『広汎性発達障害への精神療法』という課題を突きつけられることで,精神療法がさらに発展していくことを願いたい」(村上)と記される。それぞれの筆者に同意反発したりしながらあれこれ頭を忙しく働かせながら読み終えた評者は,この始まりと終わりによって,精神医学の確固とした普遍性にたどり着いた。その意味で,あまたある類書のなかで,もっとも優れたものであると確信する。
編者に挟まれてなお,輝きを放つ滝川論文(「成人期の広汎性発達障害とは何か」)では,縦断的に発達軸を視野にいれた新たな診断分類とそれを支える臨床眼を鍛えることが強調される。宇野・内山による診断に関する論文では,診断の意義を前にスケープゴート的な診断行為にならぬよう強く諫める。さらに自らを発達障害でないかと疑い受診される成人の方々の現状と危惧について,太田・湯川・加藤論文は日々の実践をもとにその苦労のあとを述べる。ここには昨今の発達障害ブームとも呼べる流れに,冷静に丁寧な精神科臨床を行うべきという当たり前の提案がなされているわけであるが,これほど強調する必要があること自体,この分野における現今の課題であることに気がつく。一方で,それが間違いなく存在するのだという実証を,加藤氏は生物学的研究から論じ,中根氏は長期の経過と予後を示し,綾屋氏とニキ氏という代表的当事者からの言葉で第一部の総論が閉じられる。
続く第二部では,広汎性発達障害に関連する障害として,統合失調症,うつ病,双極性障害,摂食障害,強迫性障害,解離性障害・転換性障害,パーソナリティ障碍が述べられる。タイムスリップ現象とフラッシュバックや解離,緊張病とカタトニアなど,まだ解決されえない症候から改めてこの分野が抱える課題に手がつけきれていないことも明らかとなった。
第三部には大学生を対象とした援助,デイケア論,当事者支援,グループ療法,薬物療法など,手探りながらも構築していこうとする支援論が列挙される。なかでも三好氏の臨床から作り出された手作りの精神病理学を基盤にした治療学は興味深いものである。最後に宮川氏,井原氏,と前述した村上氏の個人精神療法が個々に述べられている。この流れで自家薬籠を開示するのは,非常に勇気がいったと思われ,それぞれに敬意を表したい。
この臨床像が21世紀における精神医学の解体と収束を担っているといっても過言ではないだろう。同時にわれわれが今こそ行うべきことは,腰を据えた臨床である,そんな当たり前なことに気づかせてくれる本である。それだけに,現代精神医学のなかでも必読の一冊としたい。