こころの科学 No.198(2018年3月号)「ほんとの対話」より

評者:神田橋條治(伊敷病院)

定価一三八〇円の小さな本ですが、内容の豊かさは抜群です。レディ教授による基調講演に続いて松沢・下條両教授によるミニ・レクチャーが収録されています。そこから第一級の識者たちによる質疑・討論が行われます。的確な相互理解に根差したそれら対話の素晴らしさは読んでいて臨場感にあふれ、脳を忙しくさせられます。中山人間科学振興財団の創立二五周年記念行事にふさわしい濃密さです。昨今の学会シンポジウムのスカスカさを連想して悲しくなります。
濃縮された内容をさらに短く紹介するのは難事ですが、評者が受けた影響を添えて紹介すると、いくらか本質をお伝えできましょう。まずレディ先生は母親としての自身の体験から、乳児は生後九ヵ月にはたしかなコミュニケーションをしていると知り、さらにこまかな観察と論考の末、新生児の段階から「こころ」の発達はあり、かかわりの場での観察すなわち「二人称的アプローチ」でのみ把握できると論じます。松沢先生は京都大学でのチンパンジー研究と周辺の膨大なデータから、出生直後から「こころ」は関係のなかで発達しており、「こころ」の成長はヒト占有でないことを示されます。下條先生は「こころは孤立しているか?」と題されて、これまでの実験心理学や神経学は相互作用の場を排除することでワザワザ重要なデータを見過ごしていると、さまざまな実験データをもとに示してくださいます。お二人の補強によってレディさんの論旨はいっそうわかりやすいものになります。
引き続いて、フロアとの質疑応答が収録されています。発言者はみな一級の識者ですから、質疑は講演内容を拡充するものになっています。雰囲気から察するにみなさんが講演に刺激されて脳が忙しくなり、「発言せずにおれない」気分になられているようです。その内容がさらに豊潤さを加えます。評者にはここから二つの学びがありました。
第一に、上質の知識人には他者のメッセージを理解して受け取ることができ、それに触発されエキサイトする、認識群が身に備わっていること。第二に、みずからの興奮を知的な言語を用いて、しかも相手に理解しやすい表現で送り出す修練ができていること。この二点です。わが身を省みて悲しくなります。この反省は、多くの読者にとって警策の作用がありましょう。一見わかりやすく読みやすいこの本の余徳です。
それぞれのレクチャーの後ろに、おそらく厳選された少しの文献のリストがあります。さらに討論記録の後ろにも文献のリストがあります。外国語を読み慣れた方には貴重な資料でしょうが老人のボクにはもう無理なので、フロアからの発言者のお一人、岩田誠教授の『臨床医が語る認知症と生きるということ』(日本評論社)を購入して、「スゴイ、スゴイ」と宣伝しまくっています。
ボクは対話精神療法を持ち芸としてきました。永年の工夫の結果、言語対話の補助として非言語的かかわりが大切だと痛感し、技法として取り入れることが増えてきました。拠りどころとする心理学理論も、精神分析理論から間主観性を重視するほうに傾いてきました。一人称の心理学から「二人称的アプローチ」へです。この本との出会いが「百尺竿頭の一歩」となりました。日常診療での非言語的かかわりと場の設定が精神療法の核心であり、理論や技法や対話はきわめて優れた補助手段であり、薬物と同じ位置に置くのが有用だとの心構えになりました。ふと、ボクの臨床はすでにそうなっていたことに気がつきました。現実と理解とがしっくりすると肩の荷がおり楽になると、知ってはいたけど、わが身にとって新鮮な体験です。