「我」と「汝」 関係の表現が芸術

毎日新聞 2013年7月16日朝刊 今週の本棚より

書評者:中村桂子

 神経内科医である著者は「アートとはなにか」という問いへの答えを、脳機能を基盤とする神経心理学に求めていたが、退職して孫の言葉と描画の発達を観察し、進化史で考えるようになった。専門と日常を一体化して謎を解く科学者のありようとして興味深い。
 観察は二足歩行から始まる。這(は)い這い(ヒト特有の移動)、つかまり立ち、一人立ち、歩行の各過程で足底を楊子で擦った時の屈曲反応の変化から、歩行に関わる神経機構の強固さを確かめる。赤ちゃんで誰もが試せるこの反応は、類人猿にもある。森林では二足歩行は不要ということだろう。
 二足歩行と連動した言葉の獲得の時期から、人間特有の活動が始まる。コミュニケーションの手段は、鳥の鳴き声など他の生物にもあるが、それらは眼前のでき事への行動を惹起(じゃっき)する操作的コミュニケーションである。言語は指示的コミュニケーションであり、そこから教育、装身具の作成(自己を客観的に示す)、死後の世界という人間独自の世界が生まれたと著者は言う。ネアンデルタール人には、われわれのような分節性言語はなく、指示的コミュニケーションはできなかったようである。その差がイヌの家畜化の可否につながり、イヌを狩りに利用できたホモサピエンスが生存競争に勝ったのではないかという指摘は興味深い。
 著者は孫たち、また自身の子どもの頃の両親による記録から言語獲得過程を個人の発達の中で追う。ブーブー(自動車)という「モノ」に始まり、「モノ」と「モノ」の関係、つまりハイチャ(さよなら)などの「コト」を知る過程が進化の中での言語能力の獲得と重なっての観察は楽しい。
 指示的コミュニケーション能力の獲得は、アート、つまり表現へとつながっていく。近年ゾウのお絵描きが話題だが、訓練や報酬なしで描画を楽しむのは霊長類からである。ただそれはなぐりがきを越えない。一方人間は、なぐりがきから始まって閉じた円などを描くようになり、二歳半頃には自分の顔だとか風船だなどと説明するようになる。また三歳半頃には、複数の対象を描き、「…しているところ」という「コト」を表現するようになる。六歳くらいになると自己中心座標だけでなく、公園全体を描くなど環境中心座標での空間表現も生まれ、これは言語能力獲得と並行している。幼時に言語を教えられず絵を描けなかった少女が、言語能力と共に描く能力も得たという。
 古代の洞窟画の大半がリアルな大型動物であるのは、狩りの成功への祈りというよりその場の占有権を主張する勇気の証であり、群をつくって生きる有効手段だったと著者は考える。一方、ヴィーナス像など小さなアートには「美」の追求が見られ、美の概念をもつホモ・ピクトルを実感させる。
 次いでホモ・ムジカーリスである。近年、ネアンデルタール人も歌を持っていたと考えられ、絵画洞窟の絵の描かれている場所は音響効果がよいという調査もある。ここで歌や演奏がなされていた可能性が高い。協同での狩りにはリズム合わせが大事ということも明らかになっており、音楽や絵画は「社会的行動」と共にあると言える。

 アートのありようは時代と共に変化してきたが、今も生活の一部としてある。人間は自身と世界との関係を「我」と「それ」の関係として知る科学をもつ。そして「我」と「汝(なんじ)」との関係の表現がアートであり、この二つは共に人間の本質と言ってよい。これが著者の答えである。


歌うという行為は,正に祈りそのものであったと考えられる

フレグランスジャーナル Vol.45 No.7(2017年7月号)

ホモ サピエンスは「知恵あるヒト」,ホモ ルーデンスは「遊ぶヒト」,舌をかみそうなこの語は…。生物界におけるヒトの特異性を表わす著者の造語だが,それは知恵でもなく遊びでもなく,語る,描く,歌う,奏でる,踊る,演じるといった野生動物には見られない営み,「アート」である。確かに鳥だって歌うし,ゴリラも胸を叩いて奏でると言えなくもないが,それらは敵や餌の在りかを知らせたり,縄張りを主張したりする,いわば生存に必要なコミュニケーション手段。
ヒトのアートはそれとは違う。暇つぶしや娯楽の一種というほど軽くもなく,むしろ極限状況下でアートに積極的になったりする。「ヒトは何故アートというような,一見生存には不要な営みを,かくも執拗に追い求めようとするのか」,神経内科医である著者は長く抱いてきたその疑問の答えを,脳内メカニズムから導き出そうとするのは見当はずれだと気付く。同居する孫が這い這いをし,つかまり立ちをし背伸びをし,日々成長する姿を見て…。
アートを生み出す高度な脳機能,その原動力は「直立二足歩行の獲得」にあり。本書は,私たちの祖先が二足歩行を始めたとき,脳にどのような変化が生じたのか,という考察から始まる。ホモ エレクトゥス(直立するヒト)からホモ ロクエンス(しゃべるヒト)へ,赤ちゃんは1歳前後でしゃべり始めるが,ヒトの言語能力の完成には,喉頭の構造変化,神経機構の発現,語彙の蓄積,記憶の形成など,長い時間を要したと考えられる。
孫はやがてお絵描きを始める。1歳9か月では「なぐりがき」だったが,2歳5か月では自分で何を描いているのかが分かり,「絵」になった。一方,高等霊長類であるチンパンジーではそれがなぐりがき止まり,先に進まない。チンパンジーは絵を描けないのである。
ホモ ピクトルとは「描くヒト」。ならば,ネアンデルタール人が描いたとされる洞窟画をどう捉えるべきか? 絵画洞窟に足を踏み入れ,私たちの祖先はいよいよ歌い,踊り,奏で始める,ホモ ムジカーリス(音楽するヒト)となる。「発達してきたアートの中で,最も中心的な役割を担っていたのは,恐らく歌ではないか」と著者は言う。
現代は歌や音楽があふれている。アート作品の複製化技術の進歩により,いつでもどこでも音楽を再生できる。にもかかわらず,人々はわざわざコンサートへと足を運ぶ。そこでは一体何が起きているのか,聴衆は何が起きるのを期待しているのか? アートはヒトの本能である。「霊長類の進化史から人類発達史へという時間軸」を飛び出し,ホモ ピクトル ムジカーリスなるアーティスト(表現者)の誕生と,そして今。