若き学徒にも実地に携わる医師にも,広く目を通していただきたい珠玉の書

内科 Vol.107 No.3(2011年3月号) Book Reviewより

評者:坂本二哉(元日本心臓病学会理事長)

 羽田君が東京大学第二内科心音図研究室にやってきたのは,東大紛争の余韻も消えた1972年で,研究室は心音図,心機図,心エコー図の機械に囲まれていた。毎週,全症例についての厳しい「心音カンファレンス」は,既往歴,問診,身体所見,心電図,胸部X線すべてを包括していたが,中核は心音図にあった。のちにそれに心エコー図が加わった。ほとんど全症例で,カンファレンスでの診断やそれに基づく治療法が侵襲的検査法で変えられたということはなかった。そういう現実がまた羽田君の現在の自信に繋がっている。なかでも聴診診断はことに厳しく,また的を射たものであった。

 羽田君はそのような激戦の中で成長し,研究室の長になった。本書をみていると,その当時の彼のカンファレンス司会者ぶりが彷彿とする。

 本書は全16章からなるが,出だし第1章「physical examination上達への七ヵ条」はまさに診断法のエッセンスであり,それに続く各章も,従来の教科書のような通り一辺のものではなく,外来から入院患者の診療に関する著者の強固な考えに彩られている。すべて他人に有無をいわせぬ正論なのだが,それをズバッと書くところがとても魅力的である。強いていえば,最近あまりみられなくなった起座呼吸(25頁)は,ただ座るのではなくて,以前なら座って枕,今なら食事用の机にうつ伏すのが一般で,こうすると下腹部以下に圧がかかり,静脈還流がいっそう抑制されて楽になる。その逆が左房粘液腫である。

 第6章からは本論の聴診法,身体全体の観察に入るが,簡にして要を得,初心者の見逃しやすいところ,ヴェテランの陥りやすいところなど,勘所をきっちり押えて余すところがない。心音図がいたるところで現れるが,元来聴診と心音図は音楽と楽譜のような関係で,いわば心音図は聴診の客観化である。聴診所見をカルテに書くことは大切で(自己流でよい),また本書の中にはどこかの国の文字のようなユニークなペン書きがあるのは楽しいことだが,心音図は撮らなくても,こういう習慣はぜひ実行してもらいたい。また必要に応じて随所に模型図,表,胸部X線,心電図,心エコー図,CT像などを配置し,身体所見と現代的手法との関連が示され,相互の理解が深められるようになっている。

 最後の第16章「身体所見に乏しい心疾患と病態」も独特で重要な記載である。心疾患でみた目に所見がないのは,逆からいうと,著者が述べるように,ある種の診断方向を示す指針だといえる。その場合の切り込み方は,臨床家羽田君の力量が如実に示されるものである。

 羽田君は収縮期雑音(ことに収縮中期雑音)や前収縮期雑音にこだわり,外国の一流学者と論戦し,幾多の論文を書いた。西欧の聴診・心音図の伝統を破るのは困難だが,心音図に関する限り,たとえば86頁や118頁の心音図にみられるように,“Japan as number one”は万人の認めるところであり,そして羽田君は間違いなくその先頭を行く一人である。

 最後に特筆すべきは,これが終始一貫,一人の著者によって書き上げられた珠玉の書であるということである。

 若き学徒も,実地に携わる医師も,広く目を通していただきたい。