江戸時代に作られた和製漢字の“膵”と“腺”

東医協広報 No.201(2012年4月) 医書の本棚より

 著者の垂井氏は、大阪大学名誉教授で大手前病院の名誉院長を務め、1990年には国際的に活躍した糖尿病研究者に与えられる、日本糖尿病学会ハーゲンドーン賞を受賞するなど、世界的な糖尿病学の権威である。

 本書の帯によると、古代エジプト医学からルネサンス絵画や彫像、力士の肥満に至るまで糖尿病とその周辺を語り尽くし、専門家はもちろん医学的知識のない方にも興味深い一冊である。

 糖尿病は、現在、人類の約6%の2億5千万人が罹患し、発症の初期には糖化ヘモグロビンの測定による検査を経ない限り発見しがたい疾病であると、本書の「序」にあるが、この疾病が歴史的にいかなる道筋で見出されたかということを第1章の「糖尿病物語」では語っている。

 糖尿病の術語が生まれた背景は、ローマの帝政時代に遡る。現トルコのカッパドキアにアレタイオスという医家がいて、「慢性疾患の成因および症例について」を著し、糖尿病にdiabetes(ダイアベティス)という語を当てはめた。これについて、「糖尿病は身体からサイフォンに相当するような身体の仕組みを使って水が過剰にあふれ出る病気」と言い、以後、ダイアベティスとこれを呼んだ、と説明している。

 続いて、第1章の後半部ではわが国で蘭学の影響が顕著になる江戸時代の文献を紹介し、当時、西洋では、18世紀にウイリアム・カレンがDiabetesを2つに分け、Diabetes mellitus蜜尿とdiabetes insipidus尿朋症とに分けたことから、蘭学においては、第一人者の誉れが高い適塾の緒方洪庵が、『扶氏経験遺訓』において“蜜尿”という語を訳出し、「渇き」という主観的な概念から、「多尿」という客観的病態にまで分析を深めている。しかも、江戸時代には糖尿病に関わる術語として、膵臓の“膵”という和字(または国字)が作られ、例えば、峠、凪、笹、俤、鰯などがこれに当たる。膵も和字の一つで、宇田川玄真著『医範提綱』別巻の「全身諸物の名および官能の綱領」には、説明のために“膵”と“腺”の語を作っている。それ以前は医学が中国の五臓六腑説に依拠しており、そこに膵臓に当たる臓器がなかったため、『解体新書』では腺をキリイル、膵を大キリイルと外国語を音のまま使っていた。

 第2章は、「肥満の医学と美学」で、肥満の2種類には、子供を授かる可能性がある女性の皮下脂肪は健康な肥満で、男性に多い内臓脂肪による上半身肥満は不健康な肥満と分けて考えている。後者の内臓肥満は、死の四重奏の構成要素の一つであり、他の3つは耐糖能低下、高グセリド血症、高血圧である。中でも主導的なものが内臓脂肪の蓄積で、これを中心に糖・脂質代謝の隔たりが次第に増し、遅れて動脈硬化や高血圧などの異常も随伴して出現すると言う。

 内臓脂肪は多くの弊害があるが、これには救いもあると著者は言う。それは、現在、注目されている酵素・アディポネクチンのことであり、これは脂肪細胞から分泌し、耐糖能を高め、糖尿病を防いで、動脈硬化を予防し、抗腫瘍、抗炎症作用を有する作用を持っている。しかし、万能の反面に欠点もあり、これは脂肪細胞から分泌されるにもかかわらず、内臓脂肪が蓄積するとこの酵素の血中濃度が低下してしまう。その理由は、脂肪蓄積とともに分泌が増す腫瘍壊死因子がアディポネクチン合成に強い抑制作用を発揮するからでもある、と著者は指摘している。

 第3章は「グリコーゲン物語」と題する専門家向けの話だが、第4章は、「代謝病の周辺」で、真摯な医家の心構えを著者は説いている。ここでは“医戒乃略”を著して著者の私淑する緒方洪庵の至言を紹介し、書評を終える。

「病者の費用少なからん事を思うべし。命を与ふとも命を繋ぐの資を奪はば亦何の益かあらん」。