集積された脳科学の膨大な知見がまとめられており初学者にも分かりやすい

臨床精神医学 第39巻11号(2010年11月号) 書評より

評者:武田雅俊(大阪大学大学院医学研究科神経機能医学講座精神医学分野)

 本年1月初頭のNATURE誌は”A Decade for Psychiaric Disorders”をエディトリアルに掲げて,2010年からの十年間は「精神疾患の解明」が最も重要な課題であることを提唱した。ポストゲノム時代のライフサイエンス全体にとって,精神疾患・行動異常の解明が最重要課題であることをうたったものである。このような時期に,脳科学エッセンシャル―精神疾患の生物学的理解のためにが刊行されたことは,まことに喜ばしい。

 集積された脳科学の知見は膨大であり,細かく記載すれば何千ページもの著作になるところを,各項目について2~5ページの範囲でそのエッセンシャルな部分のみについてよくまとめられていることにまず感心した。できるだけ図表を多くして,初学者にも分かりやすいことを目標にして記述された各項目はいずれもよくまとめられている。もちろんテーマによりある程度の難易度のバラつきはあるが,これは限られた紙面でという制約上やむを得ないことではある。

 章建ては,五部に分けられている。第I部「中枢神経系の構造と機能」は,精神疾患の理解の基礎として,押さえておきたい中枢神経系の解剖学がその生理的機能を中心にまとめられている。この部分は正直にいってかなり高級な内容も多いので,読者は必ずしも第I部の全部を読了する必要はない。第2部「分子生物学」は,ゲノム,細胞,情報伝達系とに分けて記載されているが,これだけ膨大な内容を系統的にカバーするためには,どうしても一定のページ数が必要となることはいうまでもない。少ない紙面でカバーするためには,ある程度トピックスを拾い上げたという内容にならざるを得ないことはやむを得ない事情であろう。しかしながら,編集者の見識により,精神医学者にとって最も必要なトピックスが選択されているのには感心した。第三部「精神薬理学」においても,今話題となっている精神機能とカルシウムシグナル,イノシトールリン酸系,ニューロステロイド,オレキシン,カンナビノイドなどがとりあげられており,多くの読者にとって勉強になる内容が要領よく記述されている。第四部「神経生理学と脳画像研究」は,もっとページ数があってもよかったのかもしれない。臨床家にとって一番なじみの深い脳波,MRIなどの臨床に即した知見は,取り上げ始めると限りがないが,臨床と脳科学とのブリッジングには欠かせない情報であることも間違いない。第五部「神経心理学と認知科学」は非常に意欲的な内容が並んでいる。それぞれの専門家が脳科学を手段として行動異常・精神症状・精神疾患の神経基盤をどのように考えながら解明しようと研究を重ねてきたかという内容に加えて,今後の精神医学の進むべき方向性についても議論されており,読み応えのある内容が満載されている。

 精神疾患の生物学的研究の推進が叫ばれている。今や基礎領域の研究者がこぞって精神疾患を対象とした研究に関与するようになった。本書は,精神科医師を対象として,基礎医学の研究者がなにを明らかにしたかを伝えようとして編まれたものである。その意味では,本書はこれまでの類書とは異なり大きな成功を収めており,精神科医師にとっては役に立つ書物である。さらに編集者の意図を勝手に忖度していえば,本書でまとめられた基礎的な脳科学の知見を基盤にして,臨床家が次にどのような課題を提供できるかを問いかけているのであろう。上記の問いかけに対して,勝手に書評者なりの解答を試みれば,以下のような答えになるのだろう。おそらく精神科医に要求されていることは,これまでの精神医学の歴史が積み上げてきた膨大な臨床的知見を,脳科学者が検討できるような形で提供することであろう。精神科医には臨床の場から適切に整理された研究課題の提案が求められているのであろう。

 精神疾患を対象とした研究に取り組む際には,これまで基礎医学を区分していた,解剖学・生理学・生化学・遺伝学・薬理学などといった学問体系の区分は必要ではない。精神症状あるいは動物の行動異常をどのようなパラメータで表記して,どのような神経回路の異常,細胞の異常,蛋白の異常,遺伝子の異常に落とし込むかは,その課題により大きく異なることが考えられる。本書を読んだ精神科医師には,これからの基礎研究の方向性を正しく導くような知見を提出できるようになってほしいものである。そのようなリサーチマインドを持った精神科医師にとっても,本書は大きな意味を持っている。


読めば収穫多き「旅」ができる 内容豊富な精神医学テキスト

精神医学 52巻12号(2010年12月号) 書評より

評者:倉知正佳(富山大学本部)

 本書の序文にも書かれているように,近年の脳科学は長足の進歩を示し,主要な精神疾患の生物学的背景についての解明が進んでいる。精神科専門医は,これらの脳科学の進歩について継続的に理解していくことが必要である。そのためには,適切なテキストがあることが望まれる。このようなニーズに応えるために編集されたのが本書である。

 本書は,I. 中枢神経系の構造と機能,II. 分子生物学,III. 精神薬理学,IV. 神経生理学と脳画像研究,V. 神経心理学と認知科学の5領域で,合計92項目から構成されている。各項目について,基本から先端的なことまで,臨床とのつながりを含めて第一線の研究者によりわかりやすく解説されている。各項目は見開き2~4頁で,図表も多い。

 その項目の一部を紹介すると,たとえば,近年,精神医学で話題になっているエピジェネティクスについては,「エピジェネティクスとうつ病」(pp152~154)を開くとよい。すると,DNA塩基配列の変化を伴わなくても,ヒストンのアセチル化やDNAのメチル化によってクロマチンの立体構造が変化し,遺伝子発現が促進されたり抑制されたりすること,抗うつ薬や電気けいれん療法は,ヒストンのアセチル化を介してBDNF(脳由来神経栄養因子)の発現を亢進させる可能性が示唆されている。

 本書の読み方としては,関連した項目を読み進むという方法もある。たとえば,情動の脳科学については,まず「島皮質と感情」(pp12~14)を開くと,島の解剖と機能仮説,不安症状時に島皮質が賦活されること,島皮質体積の減少は統合失調症の発症前後で進行することが述べられている。次いで「帯状皮質と情動」(pp105~106)へ進むと,前部帯状皮質は,扁桃体に抑制的に働き,その破綻によりPTSD(心的外傷後ストレス障害)における恐怖反応が説明されること,「扁桃体と恐怖の学習」(pp36~38)では,前頭葉による扁桃体機能の調整,そして,SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の抗不安作用の脳内作用部位が情動中枢としての扁桃体である可能性が説明されている。
「表情認知の神経回路」(pp39~42)では,表情,視線方向の認知における扁桃体の役割と,各種精神障害の表情認知障害の特徴が説明され,「社会脳」(pp288~290)では,統合失調症と気分障害における社会認知の障害が詳しく述べられ,「ミラーニューロンと共感」(pp291~292)では,ミラーニューロンシステム(Broca野後部,上側頭構,下頭頭構)と心の理論や共感との関連が説明されている。「オキシトシンと自閉症」(pp201~202)では,自閉症児のオキシトシン血漿濃度が対照と比較して約半分と有意に低く,モデル動物では,オキシトシンの補充により社会的認知が改善することが述べられている。

 以上の例はごく一部であり,このようにして読者は,生物学的精神医学において収穫の多い「旅」をすることができる。本書は,精神疾患の脳科学について,国際的にも珍しいほど内容豊富なテキストであり,精神科医をはじめ,精神医学を学ぶ方々の座右の書として強くお奨めしたい。